「絶景かな」と見得を切る【南禅寺】

南禅寺橋から東へ直進すると

南禅寺の中門が現れます。

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車が通れることに驚くけど

車止めは

まだ先にあって納得。

 

 

 

南禅寺は

京都五山の上の位である別格

日本のすべての禅寺の中で

最も高い格式を持つ

臨済宗南禅寺派の総本山。

 

五山というのは

鎌倉時代から定められた

幕府が

臨済宗寺院を統制するために設けた制度で

最高の寺格を与えられた五山と

その下に

十刹じっさつ、諸山、林下という格付け。

 

 

南禅寺山麓に広がる伽藍と

それらとはアンバランスな

煉瓦造りの水路閣とが相まって

不思議な空間に

多くの人が惹きつけられるようです。

 

 

1264年

亀山天皇が造営した離宮が

南禅寺の前身で

境内の南禅院で出家したことから

1291年

寺に改めています。

 

 

室町中期以後

比叡山僧徒の焼き討ちや応仁の乱で

創建当初の伽藍は焼失し

現在の建物は

桃山時代の再建がほとんど。

 

 

境内は

境界の石塀もなく

三門、法堂はっとう、方丈が

一直線上に並び

両側は塔頭たっちゅうに囲まれています。

 

 

車止めからの参道♫

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堂々とした三門が見えてきます。

 

知恩院の三門

東本願寺の御影堂門ごえいどうもんと共に

京都の三大門であり

日本三大門でもあるそう。

 

500円で

内部拝観可能です。

 

高さ22mの三門は

上層部は五鳳楼という空間で

宝冠釈迦座像を本尊として

十六羅僕、徳川家康や藤堂高虎の像など。

 

大坂夏の陣で没した武士たちの菩提を弔うため

1628年に高虎が再建した門で

京都市内1万両の絶景が見られるところです。

 

歌舞伎の「楼門五三桐さんもんごさんのきり」で

大泥棒・石川五右衛門が

「絶景かな 絶景かな」と

見得を切るのもこちらの門。

 

実際には

五右衛門の死後30年ほどしてから

門が再建されているという突っ込みが

少なからずありますが…(ΦωΦ)フフフ…  

 

門の前の石灯篭も

6m余あり東洋1とか。

 

 

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南禅寺の中心になる建物は

三門の次に見える法堂で

外からの拝観となります。

 

現在の建物は3代目

明治時代からのものです。

 

南禅寺の本尊である釈迦如来を中央に

左に普賢菩薩

右に文殊菩薩。

 

 

 

さらに奥へ進めば

国宝の大方丈と小方丈。

 

大方丈は

1573~92年造営の御所・清涼殿を移築したもので

小堀遠州の方丈庭園・虎の子渡しの庭など。

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渡り廊下で

ひとつづきになっていて

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小方丈は

狩野探幽による「水飲みの虎」の襖絵が

よく知られています。

 

500円で拝観可能。

 

 

外側は撮影可能でしたが

お部屋は禁止されているところが多かったです(^^;

 

 

からの この景観!!

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じつは

1番の目的だったりして(。-∀-)

 

お寺の境内に

まさかの煉瓦造り!!!?

 

美しいアーチ状の橋脚が

ローマの水道橋を思わせるような

南禅寺の水路閣。

 

ちょっと不思議ですよね。

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法堂から方丈へ向かう途中

右側に

すでに見えてます♡

 

ただ

拝観ルート的に考えると

水道橋は

あくまでお寺の付属なので

法堂で手を合わせ

方丈を拝観したければ

先にしておいたほうが失礼が無いのかな、と。

 

さらに

水路閣をくぐった正面階段上には

南禅院があり

ここで亀山天皇が剃髪し法王となられ

離宮を寄進して寺に改めた

南禅寺の発祥の地とされているところ。

 

鎌倉時代末の池泉回遊式庭園は

亀山法王の作庭とされ

早くから史跡名勝に指定されている

なんか凄いところらしいけど割愛。←私が失礼やわ。  

ちなみに300円の拝観料。

 

 

橋脚下部は

規則正しいトンネルの連続( *´艸`)

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過去にタイムスリップできそうな???

 

橋マニアとして

こういったレトロなものも

たまらんばい♡

 

伽藍を背に

橋脚をくぐったすぐ右に

急ごしらえ的なままの?階段があるので

上ってみると

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これが今なお現役の琵琶湖疎水。

 

平安遷都からの長きにわたり

歴代の天皇が住まわれた京都は

明治維新の東京遷都で落ち込むものの街の近代化に着手

琵琶湖疎水を建設するのです。

 

難工事の末

5年がかりで明治23(1890)年に完成した疎水は

飲料水や農業、工業用水としてはもちろん

大津と京都間の水運を担い

蹴上での高低差を利用して

日本初の水力発電所も建設。

 

街にはあかりが灯り

新しい工場たちが誕生し

路面電車が走りだし

京都は活力を取り戻したのでした。

 

琵琶湖疎水の建設と

上水道の整備

市電の敷設が

明治時代の京都における3大事業といわれます。