ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

国宝の島・神の島【大三島おおみしま】にあるわが国・日本の総鎮守!【大山祇神社】

愛媛まで出かけることになり

いつもは「鳴門ルート」で四国入りするのですが

そう急ぐでもない旅路

「しまなみ海道」を利用することに。

 

その理由の1つはこれ!

大三島にある「大山祇神社おおやまずみじんじゃ」に参拝すること―

 

広島の尾道から

瀬戸内に浮かぶ島々を橋で渡り継いで

大三島に入り

慣れない島の道を西方向へ。

 

神の島と呼ばれてきただけに

漁業はさほど栄えておらず

かんきつ類を育てる山が目に付きます。

 

参拝時の駐車場を心配していたのですが

神社と併設している宝物館が推奨しているのは

無料の「藤公園市営駐車場」でした。

 

ほか

道の駅「しまなみの駅 御島」など近隣も利用できるようです。(愛媛県神社庁による)

 

 

大山祇神社は

ご祭神は天照大御神の兄であり

日本の建国に大功を立てられたという大山積大神で

三島神社や大山祇神社など

全国10326社の大山祇神をまつる総本社であり

伊予の国一之宮なのです。

 

ところで大三島という島の名は

各地にある三島神社の総本社の意で

大山祇神社は大三島と呼ばれていました。

 

のちに大三島という神社がある島を

指すようになったもので

島の名前が先に付いていたわけではありません。

 

古くから武神、海神、山神として

歴代の天皇はじめ武家、

伊予水軍や瀬戸内海を航海する人々からの信仰篤く

日本総鎮守と称されるほどに栄え

社殿の連なるさまは

荘厳華麗なこと目を見張るばかりだったとか。

f:id:sachi0801aki:20200921091053j:plain

上は二の鳥居から垣間見る神門。元亨2年(1322年)に焼失してから688年ぶり2010年に造営

 

参道から右へ入ると「斎田」があり

ここでは珍しい「一人角力ひとりずもう」が伝承されています。

f:id:sachi0801aki:20200917220329j:plain

稲の精霊と角力を取り

その年の稲の豊作を占うというもの。

 

お田植えが済んで伸びやかに育っていました^^

f:id:sachi0801aki:20200921091153j:plain

見えない精霊を相手に角力を取っています。

精霊2勝 一力山1勝で精霊の勝ち、というのがお約束です^^

 

参道に戻り神門をくぐります。

f:id:sachi0801aki:20200917220511j:plain

境内全域に群生するのはクスノキ。

 

周囲1m以上のものだけでもかなりあり

「大山祇神社のクスノキ群」として38本が国の天然記念物に。

 

大山積命の子孫である「乎千命おちのみこと御手植えの楠」はご神木で

樹齢2600年とあり日本の皇紀とほぼ被ります。

f:id:sachi0801aki:20200921091250j:plain

 回廊上部には

写真や説明などがありました。

f:id:sachi0801aki:20200921091354j:plain

f:id:sachi0801aki:20200921091436j:plain

近代においても

三笠宮様や浩宮様はじめ初代総理大臣・伊藤博文などの政治家や

かつての海軍の山本五十六司令長官

さらには海上自衛隊や海上保安庁 などなど

日本国を護る方々の参拝があるようで

私も身の引き締まる思いで二拝二拍手一拝を。

 

最盛期には70を超えた社殿群は南北朝の争いに巻き込まれ

現拝殿と本殿は3度の戦火を浴び

室町時代の1427年に再建されたもの。(共に重要文化財)

 

かつての隆盛をしのびつつ

今は民家が並ぶ小道を抜けて奥の院へ向かいます。

f:id:sachi0801aki:20200917220706j:plain

樹齢が3000年ともいわれる奥の院途中にある「生樹の御門いききのごもん」へは

少し不安になる道のりですが要所にある看板を頼りに歩いていくと…?

f:id:sachi0801aki:20200921091608j:plain

ありました!!

f:id:sachi0801aki:20200917220856j:plain

なんと!

樹の根元に穴があり参拝通路となっているのです。

 

くぐれば長寿にあやかれるとか。

 

大人なら

かがんで手をついて階段を登らなければならないようなほどで

私は服装がふさわしくなく断念^^;

 

すぐ脇に舗装された道があるので

くぐったつもりにしておきました^^;

 

ただこの先は奥の院といっても

『これが?』というような小さなお堂があっただけで

f:id:sachi0801aki:20200921091709j:plain

箒が立てかけてあるし「奥の院」とも書いてないしで

もやもやしてしまいました。

 

再び来た道を戻り

境内を横切って博物館へ。

 

「大山祇神社」は

古来より天皇や数々の名だたる武将が戦勝祈願のため

多くの武具甲冑を奉納していることでも知られ

全国の国宝、重文指定の甲冑、刀剣類の所有率は

4割とも8割ともいわれます。

 

「紫陽殿」と「国宝館」、「海事博物館」の共通券を購入♪ 1000円です。

f:id:sachi0801aki:20200917221317j:plain

 内部はいずれも撮影禁止でしたが

いずれも貴重で歴史を感じる物ばかりでした。

「禽獣葡萄鏡」(斉明天皇奉納・唐時代・国宝)、「赤絲威鎧大袖付」(源義経奉納・平安時代・国宝)、「螺鈿飾太刀」(平重盛奉納・平安時代・重要文化財)、「菊蒔絵角盥」(南北朝時代・重要美術品)、「大山祇神社古図」(室町時代・愛媛県有形文化財)等があり、数多くの文化財を所蔵している。 展示の形態は、ガラスケース内の陳列展示である。品名・年代が書かれた札のほかに、国宝や重要文化財には由来等の説明が加えられている場合が多く見られる。

神社博物館事典WEB版 - 大山祇神社・宝物館

 なかでも特に気になっていたのが

珍しい女性用の甲冑。

 

大山祇神社の大祝職を務めた大祝家の娘で

「瀬戸内のジャンヌダルク」と称される

鶴姫なる女性が身に着けていたとされます。

 

戦国時代に

大三島を攻めた大内氏を撃退した鶴姫伝説と語り継がれ

あらかじめ資料で確認していましたが

なるほど女性用だけに

胸や腰のあたりが特有のラインを帯びていました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/鶴姫_(大三島)#紺糸裾素懸威胴丸―「伝・鶴姫所用の鎧」―

ただ近年

大三島を守るために戦ったという鶴姫伝説を

否定する意見も多々あるようで…

 

個人的には

真実はどうであれ

旅先で見聞きする伝承は素直に信じることで

ロマンを感じられるのです。

 

なお「国宝館」と「紫陽殿」はひと続きになっております。

 

最後は「海事博物館」

f:id:sachi0801aki:20200921091803j:plain

大きなスクリューが目印です。

 

こちらは昭和天皇が研究のために使われた採集船・葉山丸を中心に

三島水軍や製塩など瀬戸内海に関する資料が展示してありますが

船はともかく資料はもうひとつ?

共通券のおまけのような?失礼^^;

 

ということで

3館合わせて1時間半から2時間ほどの所要時間でした。

 

日本の総鎮守という格式の高いお社ということと

博物館の国宝級の甲冑や刀剣の数々。

 

気になっていたところだけあって

訪問することができてなによりでした。

 

村上水軍の形跡も

いつかたどってみたいなぁ^^

 

※追記の覚え書き

「伯方の塩」で知られる「伯方塩業株式会社」も

大三島内にあります。

 

輸入天日塩田塩を日本の海水で溶かし

煮詰めて結晶した塩を

屋内でゆっくり自然乾燥させた塩は

海水中のにがりを程よく残した美味しいお塩。

 

伯方の塩は1973昭和48年に

塩田存続を願った消費者運動から生まれた塩で

1977昭和52年に伯方島に工場が竣工。

 

しかし当時は法律で一部の製塩以外は

海水から直接製塩することは禁止されていました。

 

そのため従来の塩田塩のような塩を製造するには

輸入天日塩田塩を使うしかありませんでした。

 

1987昭和62年の大相撲5月場所から

伯方の塩が使用されています。

 

1997平成9年専売法の廃止により

海水から製塩することが許可されましたが

安定した品質の塩を安く供給するために

現在も輸入天日塩田塩を使っています。

 

大三島工場は

2000平成12年に竣工され

工場見学ルートが設置されています。