おうちご飯と ときどき旅と

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

横浜・山手【港の見える丘公園】からの眺めとお洒落な【元町】や【中華街】のはじまりは?

1858安政5年に結ばれた五ヶ国修好通商条約では

江戸幕府が神奈川に港を開くという要望がありました。

 

当時の神奈川は

東海道の神奈川宿として大いに栄えていたところで

外国人とのトラブルを避けるため

”神奈川”を広い意味で解釈し

神奈川のはずれの横浜村に港を開いたのです。

 

横に長く伸びる浜が名の由来だという横浜は

文明開化と共に急速に発展し

今も日本の産業や文化の一役を担う

東日本最大の貿易港です。

 

開港後

外国人の区域として居留地が定められ

居留地へは

神奈川宿と横浜村を結ぶ吉田橋をはじめ

川や掘割を開削して橋を架け

それぞれ「関門」という関所のようなものを設けました。

 

関門を通過し橋を渡らなければ

居留地に出入りできないようになっており

関門の内側は「関内」と呼ばれるようになりました。

 

川と掘割と海に囲まれた居留地には 

神奈川運上所(現在は県庁)より

東に外国人居留地

西に日本人居留地を置いていたそう。

 

現在の関内は

官庁街と中華街、山下公園などから成る横浜の中心で

レトロな洋風の建築物が見られ

街路樹をはじめ

東京とを4時間で結んでいたという乗合馬車

日刊新聞にアイスクリームなど

発祥の地を記念する碑も点在しているところ。

 

中華街や元町は復路のお楽しみに、と

いったん通り過ぎ

市街の南に位置する「山手」へ向かいます。

 

関内の居留地だけでは間に合わず

山手と呼ばれる見晴らしの良い丘の上は

外国の高官や貿易商たちが居を構え

教会や学校が建てられたところ。

 

今も当時からの洋館や外国人墓地(志納200円程度)などが残り

異国情緒漂う区域となっています。

 

芝生の広がる「アメリカ山公園」に出てきました。

背後は

横浜港のシンボル・横浜マリンタワーです。

近年まで灯台としても機能していた展望台は

現在休館中とのこと。(2022年3月再開予定)

エレベーターで丘の上に出たら「港の見える丘公園」へ。

フランス領事館やイギリス総領事公邸が

置かれていたその中間にあるのが「ローズガーデン」

…ローズどこや^^;

毎年5月、10月には1300株のバラが見ごろとなるそうです。

 

「港の見える丘公園」というよりは

 ベイブリッジの架かる湾岸線がよく見えます。

 

そして「港の見える丘公園」は

スタジオジブリ作品「コクリコ坂から」に出てくる港のモデルらしく

作品に登場する国際信号機が掲げられていました。

 

海側から見ると3階建て

玄関側から見ると2階建ての「山手111番館」に出てきました。

市指定文化財です。

地階はランドリールームや使用人部屋、ガレージであったのを

「ローズガーデンえの木てい」というカフェに改修してあり

横浜市の花であるバラにちなんだケーキやソフトクリームなどがいただけます♡

 

ホールにはシャンデリア。

ダイニングと

キッチンと…

 今でもそんなに古さを感じさせない仕様だけど

いつ出来たのかなー?と調べてみたら

1926大正5年、J.H.モーガンの代表作の1つで 

横浜を中心に数多くの作品を残しているとのこと。

 

昭和初期の洋館を体験できるようにしてあるらしいです。

 

山手の西洋館は111番館はじめ

多くの洋館は入館無料でカフェなどが併設されて

単独の飲食店は少ない印象でした。

 

丘を下りてきて再び元町です。

フェニックスのアーチが目印の元町商店街は

1kmほどに渡ってお洒落なブティックやカフェ、レストランが続きます。

 

居留地から移転を迫られた人々が

本村もとむらという村をつくったのが元町の始まりで

山手から関内に通う外国人に

パンの焼き方やシャツの仕立てなどを学んで自身のものにし

日用品を売るお店ができていったとか。

 

小さな漁村は

西洋の文化に触れられる異国風の街となり

文明開化からの伝統ある商店街は

’70年代後半に若い女性たちの間で流行した

トラディショナルなファッション、ハマトラの発祥地で

ミハマの靴やキタムラのバッグ、フクゾーの服が3大ブランドとされます。

 

港の見える丘公園と元町を散策し終えて

関内の中華街まで戻り夕食をとることに。

海岸線に平行に区画整理されている関内居留地の中で

中華街は斜めの道筋になっていますが

海岸線は東西南北には面しておらず

一見斜めに見える中華街こそが方位に忠実で

風水思想に基づいて東西南北に沿った土地を

華僑と呼ばれる人々が開拓し

心の拠りどころである関羽を祀る祠を建て

近隣に住み着いていったのが中華街のはじまりとなっています。

 

欧米人と共に船で日本にやってきて

言葉は通じずとも漢字を使いこなす華僑は

欧米人にとって未知の日本人を理解するのに

同じ東洋人同士で必要不可欠な存在であったのでした。

 

さて

食事ができるお店を探していた筆者

ここだと思うお洒落なお店は

2人以上からというところが多くて断られ

反対に呼び込みの店員さんを断り

断ると

もうそのお店には行けなくて…

いろんなお店が声かけてくれたのに…

消去法でどんどん選択肢が減っていき

最終的にめんどくさくなってしまって

ドライがあればいいやと決めました。

辛いだけだった…笑

また機会があれば

新しいお店を開拓したいです♡

 

こちらにお世話になりました。

www.daiwaroynet.jp

 

       …終わり