散策
同じ飛騨地方の高山市に 名が押され気味ではありますが 飛騨市の市政の中心である「古川町」も 小さいながら城下町でした。 戦国時代 豊臣秀吉の命を受け 金森長近が飛騨を統一し 養子である2代目・可重ありしげは 1589天正17年 古川に増島ますしま城…
東は日本海(美保湾)に面し 北の境水道と西の中海なかのうみを隔てた先は島根県という 三方を海に囲まれた鳥取県境港さかいみなと市。 美保湾と中海を隔てるのは 全長17kmの弓ヶ浜半島で 東側の弓ヶ浜の海浜以外は開発が進み ここが砂だけで出来た半島…
山陰地方を代表する温泉の1つ 鳥取県の「三朝みささ温泉」。 三方を山に囲まれたのどかなところで 町の中心を流れる三朝川の両岸に 旅館が建ち並びますが 開湯の歴史は古く平安時代の1164年のこと。 三朝温泉に伝わる話によれば… 源義朝の家臣・大久保…
桂浜へ来たぜよ^^ 高知市のサイトによると 坂本龍馬像は 高知県の青年有志が募金活動を行い,当時の金額にして2万5千円を集め建立。昭和3年5月27日午後2時,除幕式を行い姿を現した龍馬像。和服姿に懐手,ブーツ姿の龍馬は,はるか太平洋の彼方を見つめて…
熊野古道・馬越峠まごせとうげからの寄り道で 便石山びんしやまへやって来た私。 目標の「象の背」へ出ると 馬越峠で私を抜かしていった外人さん2人が ドローンを飛ばしていた。 ずっと何かの機械音が聞こえていたので 世界遺産を傷つけてないかと ちょっと…
お伊勢参りが流行した江戸時代 伊勢路は 伊勢から熊野詣でのための参詣道として 多くの庶民が行き交ったようです。 ぞろぞろと熊野へ向かう人々のようすは 「蟻ありの熊野詣」と称されました。 現在 伊勢路は19区分され 古道ウォークができる世界遺産とし…
天気の良い平日とはいえ春休み。 こんな日は静かなところへ行ってみようと 早朝から車を運転して「熊野古道」を訪ねました。 まず熊野古道とは 平安中期以降、紀伊半島南部にある熊野三山 (熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への信仰が広がり そ…
前回、前々回は 今井町にある楽しいもの2つ 「お豆腐屋さんの自販機」と 白衣の人おすすめの 「おにみみコーラ」を取り上げましたが 再び町並み散策に戻ります。 時間は14時前となり 本町筋には木曜定休の甘味店などと 予約制の料理店しか無いので 白衣の…
お豆腐屋さんの自販機に感心して さて飲食店を探そうと思うも すぐ隣にまたもや気になるものが!!! 春のコーラが入荷しました…だと…?? おにみみかぜぐすり?おにみみって…??? 情報量に追いつけないでいると 白衣の薬剤師さんらしきかたが表へ出てきて…
江戸時代の町家の面影を残す建物が 600軒ほど残る今井町。 そのうち500軒が伝統的建造物 さらに9軒が国の重要文化財に指定されており 貴重な建物がこれだけ集中している町も なかなかお目にかかれません。 一向一揆における本願寺の降伏にともない 今…
歴史ある街並みが残る橿原市今井町。 濠で囲んだ城塞都市は 江戸時代には商業都市へと発展したところで 見通しの利かない細い路地には 瓦屋根と白壁の家々が続きます。 辻が多い非碁盤目状の道筋は どう歩けば効率良いのか悩ましいところですが 東から攻めて…
奈良県内には 「今井町」という名の町が 大和郡山市、橿原かしはら市と五條市の3市にありますが 今回は 今も昔ながらの面影が色濃く残る橿原市今井町を取り上げました。 まず橿原市は 奈良市に次いで県下第2位の街で 耳成山みみなしやま、天香久山あまのか…
神宮の参拝後は お買い物など散策するのがお楽しみ。 とはいえ この日はまだ早朝だったので 閑散としてました。 伊勢ではどの家もお店も 厄除けの注連縄が一年中かけてありますね。 銀行の外観も町並みに合わせてあります。 神宮におみくじは無いけど おみく…
2013平成25年に 神様のお引越である式年遷宮が行われた「伊勢神宮」。 地元のかたを中心に 「朔日ついたち参り」という風習があるのをご存知でしょうか? 「朔日参り」とは 毎月のはじまりの日に神宮へ参拝して 無事に過ぎた先月に感謝をささげ 新しい…
1063年 源氏の2代目棟梁・源頼義が奥州平定を機に 源氏の守護神であり 頼義自らが元服した京都の石清水八幡宮を 鎌倉の由比に勧請した「由比若宮」が起源となる「鶴岡八幡宮」。 頼義の嫡男・義家は八幡太郎義家と名乗り 鎌倉幕府を開いた源頼朝は義家…
錦江湾に沿った稜線上の 指宿スカイラインで知覧を目指します。 途中いくつかある展望台からは 前日よく見えなかった桜島の遠望。 鹿児島の街からは遠くなってしまったけど まるでナポリのような?知らんけど… 天文館のホテルからドライブすること1時間 「…
せっかく鹿児島市に来たんだから 「西郷隆盛象」を見ておかないと! 鹿児島感が出ているでごわす^^ 下級武士であった西郷隆盛は 島津斉彬に目を止められて仕えるようになり 明治維新後は新政府を支えるも 朝鮮派遣問題で対立して鹿児島へ帰郷 西南戦争で自…
新潟県は広いのです。 どのくらい広いのかというと…関西から北上して新潟県に入るには 福井県、石川県、富山県を通りますが その3県を合わせた面積に匹敵するほどで 国内では 北海道、岩手県、福島県、長野県に次いで 5番目の大きさになります。そして や…
1858安政5年に結ばれた五ヶ国修好通商条約では 江戸幕府が神奈川に港を開くという要望がありました。 当時の神奈川は 東海道の神奈川宿として大いに栄えていたところで 外国人とのトラブルを避けるため ”神奈川”を広い意味で解釈し 神奈川のはずれの横…
「横浜ランドマークタワー」と「日本丸」を背に 「汽車道」をたどってみます。 「横浜ランドマークタワー」から見下ろすと 運河の上に架かっていたのが「汽車道」で 細い筋になって伸びるさまは放っておけなくて^^ なんだか歩いてみたくなるのです。 「新港…
風の穏やかな朝の「万国橋」からは 逆さ「みなとみらい」が撮れました。 ランドマークタワーや三菱みなとみらい技術館、クイーンズスクエアなど一望 横浜の象徴ともいえるこの景観は 一帯が「みなとみらい」と呼ばれる地域で かつては三菱重工業横浜造船所や…
「竹林の小径」では束の間の京都の雰囲気でしたが どこにでもあるような町の景観に変わり そろそろ温泉街も外れに来たようです。 マップに記してあるからには行かねば、と妙な使命感に駆られて 民家を抜けて目指すのは「源範頼みなもとののりよりの墓」 ほん…
「修禅寺」から「虎渓橋」を渡ると… 桂川沿いには「筥湯はこゆ」などの見どころがありますが 明るいうちに遠いところから攻めるのは鉄則です笑 表通りから外れる坂道を指標に従って歩きます。 知らない町はいつも期待と軽い緊張感です。 「指月しげつ殿」と…
その昔 弘法大師が発見したと伝わる修善寺温泉。 伊豆長岡とともに中伊豆屈指の大温泉は 桂川の流れに沿って旅館やホテルが連なります。 温泉のはじまりとなる「独鈷とっこの湯」や 「修禅寺物語」にも取り上げられた古刹「修禅寺」 ほか源頼家の最期の地な…
岐阜市内を楽しむなら 「十八楼」がおすすめ!!! お宿の表通りは うだつの上がった町並み。 格子の付いた窓など 風情があります。 火除けの秋葉様が一階の屋根の上にお祀りされていて お隣の「十六銀行」も レトロな外観です。 「十八楼」のお風呂が素敵で…
湯原温泉の中を散策してみようと お宿を出て「寄りそい橋」からスタート^^ 南へ進んでいくと石碑を発見。 豊臣秀吉の五大老の1人で岡山城主の宇喜多秀家の母は 「おふくの方」といって この地の生まれといいます。 宇喜多直家に嫁ぎ秀家をもうけるも 妖艶…
「岡山県」というと 瀬戸内海に面した開けたところ、という 勝手なイメージですが 今回は海ではなく山 県北部、美作みまさかという地域にある 「湯原ゆばら温泉」のことを。 まず岡山県は はるか昔は吉備の国とよばれました。 東側から 備前の国、備中の国、…
香川へ行って 讃岐うどんのお店をめぐるのが好きな私。 今回は 讃岐うどんを食べに行くついでに 橋を見ることが好きな私の希望で 瀬戸大橋と内海に浮かぶ島々が綺麗に見える 「鷲羽山展望台」へ行ってきました。 いつものように 深夜割りが有効な午前4時ま…
栄市場のすぐ隣 山羊料理「二十番」で山羊刺しを頂き カルビープラスの揚げたておやつ食べに行こ―^^ ナビによれば歩いて10分、800m。 慣れない街は距離感が分からないけど意外と近い。 途中で見つけた三線の専門店とか… いよいよ繁華街に入り 翌日の…
披露宴で食べて飲んで… 夕食は要らないかな?と思いましたが ネットの情報を集めていくと どうやら山羊が有名らしい。 山羊って食べたことないんですけど? 那覇市にある個性的な店主さんが売りの「山羊料理さかえ」は 沖縄唯一の山羊料理のお店だというネッ…