ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

秋の訪れは【妻籠宿】で「澤田屋」の栗きんとん!?江戸時代の町並み…

中山道は

江戸時代に定められた5街道の1つで

江戸と京都を結びます。

 

経由地としては

東京から埼玉、群馬、長野、岐阜があり

滋賀県の草津で東海道と合流し京都の三条大橋に至ります。

 

全69次、距離にして530kmほどとは

東海道と比べると40kmほど長いのですが

箱根の関所や新居の関所などで行われる

「入鉄砲に出女」といったような取り調べほど厳しくなく

橋を架けるのが許されず川越人足に頼るしかなかった

大井川や安倍川などでの足止めもなく

女性の割合が多かったそう。

 

長野県塩尻市の贄川宿から南へ山間を抜ける道は

木曽路とか木曽街道と呼ばれ

美濃の国に至るまで11の宿場があります。

 

なかでも

贄川宿からは10番目

中山道では42番目にあたる妻籠宿は

木曽路の中でも

江戸時代の面影を色濃くとどめているところ。

 

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伊那地方へ抜ける

追分にもなっていて

賑やかな宿場町だったとか。

 

明治末に開通した中央本線の

ルートから外れた妻籠は

衰退の一途をたどっていたのですが

昭和に入り

高度経済成長の中

集落保存が実施されるのです。

 

江戸時代には無かった

電柱や看板を除き

建物も それぞれ 

宿場町であった頃のように

修復、整備をすすめました。

 

結果 

江戸時代の

宿場の姿が見られるところとして

全国に知られる

観光地へと発展を遂げました。

 

と・こ・ろ・で

 

今回 どうしても

やってみたかったのが

「澤田屋」の栗きんとんを食べること。

 

本店(?)が

R19沿いにあるのですが

妻籠宿にもあることに

目をつけてましたので…

 

行ってきましたっ!

 

 「あ?ここが?」

と お店をみつけた私にすかさず

「澤田屋でございます。」と店員さん。

 

誇り高げです。

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試食をちょっぴりいただきまして💦

お目当ての栗きんとんを…

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「100%栗でございます。」
 
店員さん 鼻高々( *´艸`)
 
最高級の栗の実に
自然な甘みをちょっぴり加えた
木曽の銘菓です。

おいしーーーーーーヾ(≧▽≦)ノ
素朴ですけどね?

ごちうさまでした。

 

いきなり

栗きんとんを食べるという

目標を達成してしまった私。

 

で す が

 

まだまだ妻籠は

楽しめます。

 

 「澤田屋」近くの「永楽屋」は

妻籠で唯一 下駄を売るお店です。

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尾張藩によって厳しく保護された木曽の美林は

今も木曽地方の経済の基盤となっています。

 

古くから

製材・木工業が盛んで

ボールペンや食器類、玩具など

さまざまな製品に

触れることができるのは

この地方ならでは!!!

 

 お店では

子供から大人まで

その人に合うように

鼻緒を調整してくれる

半オーダーメイド(?)で

1枚ものの板から作られる下駄は

丈夫で長持ち!!!!

 

しっくり足に馴染んだ下駄で

カランコロンと

妻籠宿を歩いてみるのも

良いのかも…

 

 ちなみに私

もう10年以上前ですが

同じく木曽路は薮原宿の伝統工芸品

ミネバリの木で作られた「お六櫛(おろくぐし)」を

今でも愛用してまして…

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最近になって

TVなどでも多々紹介されているので

認知度も高いようですね?

 

目の詰まった硬い木で

切るときに斧が折れてしまうことから

別名を「オノオレカンバ」とも。

 

なので

大事に使えば

親子3代にわたって使える

スグレモノなのです。

 

加えて

コンパクトで

静電気も起こらず

髪を解くほどに

ツヤが出るとか?

 

女性用だけでなく

男性用も ご用意しております(。-∀-)

 

「澤田屋」から

さほど離れていない向かい側には

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「上嵯峨屋」

といって典型的な木賃宿が

公開されています。

奥の座敷で宿泊客は雑魚寝状態でした。

 

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舗装も何もしてないこのあたり

勝新太郎の「座頭市」のロケが行われたという…

 
振り返るとこんな感じ。

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画像の手前に石段があり

「桝形」になっています。

 

「馬籠宿」でも触れましたが

幕府が敵からの侵入を防ぐため

道を直角に2度折り曲げ

馬などが勢いよく進んでくると

曲がりそこね

そこを反撃しようというものです。

 

宿場が設けられたころは

戦国時代からまだ日も浅く

さほど時代も安定していないため

宿場によっては

城塞の役目を兼ねて

つくられました。

 

この「桝形」が

昔のまま保存されている

というのは全国でも珍しいのだとか。

 

 囲炉裏のある「わちのや」

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しだれ桜の頃

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桝形を過ぎたところにある

景観に合わせた郵便局。

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明治初期のころの黒いポスト。

資料館が中にあり

郵便の歴史が分かるとか。

 

斜め向かいに「本陣」があり

ここが島崎藤村の母の生家です。

 

宿駅が制定されると

島崎家が本陣に任命され

明治まで

庄屋を兼ね勤めました。

 

さらに

斜め向かいは

「脇本陣」となります。

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奥谷というのは屋号であって

正しくは林家の住宅です。

 

脇本陣、

兼 庄屋、

兼 問屋、 

兼 造り酒屋、

という裕福な家柄だったそう。

 

総ヒノキ造り3階建て

明治初期建築技術の粋を集めた

豪壮なものとなっています。

 

国の重要文化財で

明治天皇が巡行中に

お休みになられたところでもある、

ということから

格式の高さがお分りいただけるでしょう。

 

島崎藤村の初恋の相手

馬籠宿の大黒屋

おゆうさんの

嫁ぎ先でもあるのです。

 

 町並みも終盤となり

この先には

お宿と お土産やさん

「口留(くちどめ)番所跡」

「鯉岩」などなど

みどころもあるのですが

全部お話ししたところで

楽しみがなくなってしまいますから

このへんで。

 

 夕暮れともなれば

街道筋のあちこちで

行燈に火が入り

妻籠宿は

柔らかな明かりに

包まれます。

 

 訪れる人は
時間が江戸時代に戻ったような
錯覚さえおこる妻籠宿ですが
ただ町並みが保存されている
というだけでなく
実際そこに人が住み
生活の息吹が感じられるところで
周辺の自然景観も含めて
国の重要伝統的建造物群保存地区(長!!!)
に指定されています。

 

ここだけは

ゆっくりと時間が流れてるような

心落ち着く

そんな町でしたよ。