「木曽路」というのは
中山道の一部分のことで
木曽地方にある11の宿場の総称ですが
馬籠はその1番南にあたります。
ここから
北へ進むほどに険しく深い森林の中
昔の人は
石畳をたどって歩いていたのです。
文豪・島崎藤村も
「木曽路はすべて山の中である」と
小説「夜明け前」で表現していますが
馬籠だけは恵那山を望む高台の開けた地にあり
当てはまらないようですね。
島崎藤村の出身地としても知られる馬籠宿。
ひと筋の急な坂道に沿ってつづく町並みは
格子造の古風な家が多く
宿場町のむかしが偲ばれます。
変貌の激しい東海道筋に比べて
中山道は
往時の面影を残すところが多いようです。
画像の右から
いきなりの上り坂になります。
入口からすぐのところで
「桝形(ますがた)」がみられます。
敵の侵入を防ぐため
街道を2度、直角に曲げてあるのです。
左へ曲がり
少し進んで右へ曲がったところがこの状態。
城郭のような石垣が 右端に写ってますが
手前に道があり、
右から左、左から奥へ石段がのびてますよね。
この前後の坂道が
馬籠宿で1番の急坂のようです。
階段を昇り
石畳の坂道の両側には
お土産屋さんや飲食店などが立ち並んで
宿場町の雰囲気満載です。
「志おや」
「清水家資料館」
と
坂道に沿っているのが分かります。
今の時期は「栗」が旬で
焼き栗の実演販売や
和菓子屋さんなど
いたるところで
栗のいろいろが売られていました。
栗ふく
中に栗餡が入ってました。
「五平餅」
やはり木曽地方での
お約束でしょう。
2つとも
「槌馬屋(つちまや)資料館」で。
お店の奥に昔の暮らしがわかる有料施設がありました。
店先で
“われせん”を売る「つたや」
紙袋に詰めてもらい
散策さくさくしながら食べられます。
店内では
個包装されたおせんべいが
選べるようになっていて
定番の“サラダ” “マヨネーズ”や
“わさび” “チーズ”に “納豆”(!)
コーヒーなどなど…
海苔を巻いている店員さん。
宿場町の中程には
「藤村記念館」
記念館は かつての本陣で
藤村は 本陣の「島崎家」の生まれなのです。
本陣の建物は
残念ながら明治の火災で残っていませんが
地元の人々によって
「藤村記念館」が建てられました。
小説「夜明け前」の原稿や
夏目漱石からの手紙
写真など
貴重な資料が残されています。
さらに北隣は
「大黒屋」といって
藤村の初恋の人といわれる
おゆうさんの生まれた家。
軒下に杉玉がさげられているのは
江戸時代「大黒屋」が
造り酒屋をやっていた頃の名残とか。
今は
お洒落な雰囲気の
雑貨屋と飲食のできるお店に変わっています。
「大黒屋」から
1軒飛んで北隣は
「馬籠脇本陣資料館」
建物自体は
明治の火災で焼けてしまっていて
脇本陣「蜂谷家」が資料館となって
宿場や山林の資料が展示されてるそうです。
前述の通り
町並みは ほとんど焼失してしまい
現在の馬籠宿は
江戸時代のものではなく
600mほど“復元”というカタチで
宿場の雰囲気を味わえます。
「豆吉本舗」
…たしか観光案内所の
少し手前だったと思いますが
店内には このように…
規則正しくディスプレイされていて
なんか好きですね、こういうの。
そして最後は
「高札場(こうさつば)」
屋根の付いた看板がありますが
今でいう「掲示板」で
幕府が庶民に御触れを示したところです。
「夫婦仲良く…」などなど書いてあった気がしますが?
恵那山を右手に
馬籠宿を後にすると
昔の街道(信濃路自然歩道)が
次の宿場町へつづきます。
妻籠(つまご)宿へ向かうには
馬籠峠を越えていくのですが
ハイキングをするなら
峠を昇りきるまで40分はかかるそう。
「水車塚」から
「熊野神社」(こんなところにも!)
「峠」という集落を抜けますが
大火を免れたこのあたりは
江戸時代からの
古い建物もあり
昔の面影がよく残っているそうです。
もちろん車道もあります。
馬籠峠の碑
左には
馬籠宿から2.2km
妻籠宿まで5.5kmの
案内板と共に「旧街道の石畳」です。
ここから「妻籠宿」までは
下りの道になります。
馬籠峠を下りる途中
車で5分、徒歩40分のところに
「滝見茶屋」
というのがあり
そこから谷へ下りる歩道があります。
2つの滝があるということで
停めることができたので
探検してみることに。
写真では分らないかと思いますが
かなり急な階段です。
下りて行くにも
霜のせいで落ち葉がドロドロ。
階段の歩幅も合わず
やや足元不安定でした。
が
無事に下りることができ
最初に見えるのは
「女滝(めだき)」
どうやら昔からの木曽の名所らしいです。
絶え間なく続く 滝の音のほうへ
せせらぎに架かる橋を渡ると
今度は
「男滝(おだき)」
その名の如く
豪快に
かなりの水量が
流れ落ちていきます。
夏は良いけど
かなり寒いです!!!!