四国最大の発展を見せる愛媛県松山市は
「松山城」の城下町。
人口約45万人です。
「松山城」は
勝山(標高132m)山頂に
賤ケ岳の合戦では七本槍として
秀吉に仕えた加藤嘉明が築いたのがはじまりです。
当初は5層の天守閣を構えていたものの
伊勢の桑名から松平定行が
松山藩15万石の大名として移り
3層の天守閣に改築しています。
以後
14代 240年間
明治維新をむかえるまで
松平家の居城でした。
落雷で焼失した天守は
1854年に再建され
江戸時代最後の完全な城郭建築として
幕末に落成し現在に至ります。
ロープウェイ(天守観覧券と往復券で1020円)を利用して…
降りれば天守閣まで楽勝なのかと思いきや?
見上げるほどの石垣…
桝形が見られます。
坂道を登りつづけ
深く酸素をとり込みながら 運動不足💧
やっと!たどり着きました。
いやーぁ
なかなか守りの堅いお城でござる^^;
本丸前は広場になっていて
瀬戸内海も見えました。
お城の一角には
この街で生まれた俳人・正岡子規にちなみ
「俳句ポスト」が。
ここで
松山や 秋より高き 天主閣
という歌を残した正岡子規は
結核を患い喀血した自身に重ね合わせ
血を吐くまで鳴くといわれるホトトギスの漢字表記を
雅号(子規)にしています。
野球を日本に紹介した人物でもあり
「バッター」を「打者」
「ランナー」を「走者」
「ストレート」を「直球」など…
当時
米国から伝わったベースボールは
正岡子規によって日本語に訳され
より親しみのあるスポーツへと
発展しました。
時代を超えて
彼の功績は評価されつづけ
2002年には
「野球殿堂入り」を果たしています。
そして
道後温泉と言えば
「道後温泉本館(重文)」です。
昔の道後温泉は
入浴といえば「道後温泉本館」だけでした。
温泉客は
旅館のかたの案内で
本館のお湯に入りに来ていたのです。
昭和に入り
新たにボーリングして湯量も増え
それぞれの旅館にも
内湯が設けられるようになり
共同浴場の必要性は無くなりました。
今では
名所で入浴を楽しむことが
観光の醍醐味になっているようです。
正岡子規の同級生であり
死期を迎えるまで交流のあった夏目漱石が
自らの小説「坊ちゃん」で
この「道後温泉本館(共同浴場)」を紹介していることから
「坊ちゃん湯」の名で親しまれています。
明治27年建築の本館は
翌年 松山中学校の英語教師として
赴任してきた夏目漱石が
小説「坊っちゃん」の中で
“住田の温泉”として登場させ
温泉だけは立派なものだ、と評価しています。
その頃
8銭出すと
3階の“上等”で湯上りに
貸し浴衣と、お茶とお団子がもてなされたようで
現在では
3階“霊の湯たまのゆ”(個室)は
同じサービスで
80分、1500円となっています。
ちなみに
2階の“霊の湯”は
60分、1200円
お菓子がお煎餅、一般席であるなど
階と値段によって
サービス内容が違ってきますので…
なお
当時のまま保存されている
3階「坊っちゃんの間」は
1階、2階の利用者も
見学可能です。
※2017年12月現在 段階的に改修工事を行っています。
お出かけ前には要確認を!!道後温泉公式サイト
「道後温泉本館」の向かいは
「道後ハイカラ通り」という商店街です。
石畳に沿って歩けば
道後温泉駅へつながります。
いろんなお店があって
見ているだけでも楽しいです。
共同浴場「椿の湯」もあります。
地元の方々は御存じでも
観光客にはあまり知られていないようで
混雑も無くゆっくりできました^^
なにか松山らしいものを、と思い
これ↓
「母恵夢(ポエム)」!!!!
黄身餡を
ミルクのようなバターのような風味の生地で
包んである焼菓子です。
こういうの好きだったなぁ懐かしい♡
愛媛といえば「タルト」もお約束!!
柔らかいスポンジで餡をくるんだ
ロールケーキのような見た目。
なのにタルト^^
駅前に展示してある「坊ちゃん列車」
同じく駅前の
「からくり時計」と。
(定刻になると「坊っちゃん」の登場人物が出てくる)
こんな感じで湯の町散策を終え…
お宿へ戻ったのでした。
宿泊は道後プリンスホテルです。
「道後温泉本館」まで徒歩なら約7分ですが
無料のシャトルバスも出ています。
正面玄関近くには足湯もありました。
タオルも置いてあるので
そのまま思いつきで利用できます。
朝ご飯、撮ってみました…
ごちそうさまでした。