ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

【竹田城跡】

兵庫県は

国指定史跡の城郭が全国一多い県です。

 

姫路城をはじめ

竹田や三木、明石、丹波篠山

洲本に龍野、赤穂などなど22城。

 

城跡のみのものなど含めれば

1000を超えるとか。

 

源平の戦いである「一の谷の戦い」や

朝廷と足利軍との「湊川の戦い」

織田方の秀吉による「三木合戦」など

大きな戦いも繰り返されてきたところ。

 

また古来より

権力の中枢が集まる畿内から伸びる

「山陽道」や「山陰道」

「南海道」が通る交通の要衝ゆえ

歴史的にも地理的にも

お城を築かねばならない場所だったのでしょう。

 

今回はさらに

播磨、但馬、丹波の交通の要であった

兵庫県朝来あさご

和田山にある「竹田城跡」を見てきました^^

 

竹田城は

室町時代中頃の1431∼43年

但馬の守護大名・山名宗全の築城と伝えられます。

 

標高353,7mの「古城山」に建つ山城で

虎が伏せたような山容であることから

虎臥城とらふすじょう、こがじょうの別名も。

 

山頂部の天守台と本丸を中心に

尾根上に三方向へ曲輪が配置され

縄張りは南北400m、東西100mという

規模の大きなもの。

↓地図は西が上になっています

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山名氏の家臣・太田垣氏が

7代130年にわたり居城し

播磨の赤松氏、丹波の細川氏に対する

備えとしていました。

 

その後

豊臣秀吉の但馬平定で

播磨の龍野から豊臣家臣の赤松広秀が

2万2千石で入城。

 

関ケ原の合戦後

徳川家康に切腹を命じられ

竹田城は廃城となりました。

 

築城当時は土塁で守られていたものの

最後の城主であった広秀が

総石垣造りの城に改修しています。

 

石垣は

近江・穴太衆による野面積みで

自然石のまま積み上げた隙間があるもので

排水性に優れているのが特徴。

 

今なお現存していることから

穴太衆の技術の高さがうかがえますね。

 

全国屈指の規模を誇るもので

国指定の史跡です。

 

1990平成2年には城跡に

映画「天と地と」の中での

上杉謙信の春日山城として

3億円かかったという天守閣などの

セットがつくられました。

 

2006年には「日本100名城」に選定。

 

このあたりから

雲海に浮かぶ石垣のイメージが定着し

日本のマチュピチュとか天空の城と

謳われるようになっていったかと記憶します。

 

その後も

2012年映画「あなたへ」や

2014年大河ドラマ「軍師官兵衛」が撮影され

この5∼6年で急激に登城者数が増え

今年(2014年)は53万人を超えたとか。

 

霧が立ち上る遠くの山の頂に

石垣だけがわずかに見える…

 

忘れ去られた遠い記憶が

呼び覚まされる感覚と重なるような?

 

そこに行けば

壮大なロマンが待ってる気がします^^

 

…とはいうものの訪問時は

人も多く霧もロマンも無く

竹田城だけを見てきたので

写真のような雲海に浮かぶ姿では

ありませんでした^^;

 

霧に包まれた石垣を撮影するには

古城山と円山川の対岸にある「立雲峡」から

冷え込む秋の朝

雨上がりで快晴なら

川霧が発生しやすく

天空の城っぽく撮影できるとか。

 

いつの間にか

立雲峡の公式ホームページもできていたので

勝手に検索されたい^^

 

いっぽう
竹田城跡までは

下図のように駅や駐車場からは

バスで行くも良し、歩くもよし^^

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中腹バス停からは

車両進入禁止につき徒歩で

およそ1km足らず?

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まぁまぁな坂道で

ちょっとしんどい20分。

 

歩幅のちょうど良くない石段を上り

まずは北千畳へ。

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北千畳と南千畳とで

山麓の居館を守りつつ

丹波と但馬などを睨んでいたのでしょう。

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1600年に廃城になってからも

草や木の根が石垣を守っていたのが

日々観光客が押し寄せるようになり

今では雑草も生える暇なく

雨が降れば土砂が崩れ

石垣がほころび始めているそう。

 

そのため

最高所の天守と本丸には登れず。

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ちょっと残念でしたが

史跡を守るためなら仕方ない。

 

南千畳のあたり。

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ほかにも

見学ルートはシートで覆われ

その上を歩くことで

史跡へのダメージを

少なくする対策をとっていました。

 

鎌倉から室町時代の主流であった

山城というタイプのお城は

険しい山の上に建てられているため

見晴らしがよく敵の動きが把握しやすいです。

 

馬や人が上りづらいので

護りも固いですね。

 

石垣は複雑に折り曲げてあるので

死角も無くなります。

 

石垣だけが残るお城ですが

戦いを想像しながら歩いてみると

見応えありました。