思わぬ情報を手に入れることができた「浮島の森」の管理人さんに
感謝をしつつ
「浮島の森」から700mという近さの「神倉神社」駐車場に到着。
「神倉神社」は標高120mの神倉山かみくらさんの頂近くにあり
熊野三山の1つ「速玉大社」の飛び地に設けられている摂社で
「速玉大社」に付属する神社ですが
ゴトビキ岩という巨石が
太古の昔からの崇拝の対象、御神体であるため歴史は大変古く
ご祭神は天照大神と高倉下命たかくらじのみこととなっています。
カムヤマトイワレビコノミコト…のちの神武天皇が
ご東征の折に支援をしたのが高倉下です。
「日本書紀」よれば高倉下は…
カムヤマトイワレビコノミコト…のちの神武天皇は
日向の高千穂より東国に都を造ろうと兄のイツセノミコトとともに大和へ向かうが
河内で大和の豪族の迎撃に遭い撤退する。
太陽の神・天照大神の子孫なのに日に向いて戦ったのが良くないとして
今度は紀伊の熊野から上陸すると(兄は熊野に入る前に命を落とした)
そこで大熊の発する毒気に冒されて神武天皇はじめ兵士たちは倒れてしまう。
天照大神と高木神たかみむすびのかみは
救援のため建御雷命たけみかづちのみことを地上へ送ろうとするも
建御雷命は「自分が降りるよりも自分が国を平定した際に力を発揮した剣を送りましょう」と高倉下の夢枕に立ち「剣を天つ御子に献上せよ」と伝える。
高倉下が目覚めて倉を見ると夢で見た通り床に剣が刺さっていた。
急いで神武天皇に剣を献上するとたちまち皆正気を取り戻した。
天つ御子が剣を得た訳を高倉下に問うと夢の教えのことを答えたのだった。
…ということで
この霊剣は
「佐士布都神さじふつのかみ」
「甍布都神みかふつのかみ」
「布都御魂ふつみたま」の名を持ち
奈良の「石上神宮」で発掘され宝物となっています。
さて
神武天皇をお助けした高倉下命について
さっくり知ったところで
いざ参拝!!!
朱塗りの橋を渡った正面は「猿田彦神社」で
道案内の神様というからには
やはり手を合わせてご加護を願っておきました。
そして
熊野の神様が初めて降り立ったという神倉山の頂へ
登る!!!!
いつかの「厳島神社」で見たような控え柱の鳥居は
神仏習合の神社に見られるものとか。
話に聞く538段の石段を上る!!
な…なにこの階段ーーーーーーーー((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
鎌倉時代からの石段で
源頼朝が寄進したものという。
自然石なので
段差も奥行きもばらばらで
平面な部分も少なく
バランスを崩さず足場を選ぶのが大変。
頼朝もっと考えろよ~ったく(一一")
しかし
熊野三山(本宮・新宮・那智)は
苦難を乗り越えてこその御利益。
その神様が
初めて降り立った地へ参るのだから
道は厳しくて当たり前。
絶対に
神様が宿るゴトビキ岩を間近に見る!!と
階段下の杖をお借りして
「鬼ヶ城」以来ふくらはぎに違和感のある私は
かなりゆっくりなペースで登ってゆきました。
休みたくてもそんなゆとりもない狭い階段ですが💦
200段ほど?進んだあたりで
少し広いところがあったのでたたずむと
「ぷぅ~ん」と耳元でアイツが音を立てくる(; ・`д・´)
刺されるのは嫌だとまた重い足を上げて
ふくらはぎの痛みと戦い
しかしながら
私より年配らしい人たちは
すたすたと登っていくではありませんか。
「違うんですよぉ~さっき鬼ヶ城でめっちゃ歩いてぇ~」
抜かしていく1人1人に説明したいくらいでした^^;
やっとのことで手水舎へ。
江戸時代からの物でした。
道は平坦となりゴトビキ岩も目前。
これが!!
ゴトビキ岩!
圧倒的な存在感です。
巨石は上下2つに分かれており
下の石が高さ8m、上の石が高さ3mで計11m。
注連縄は30mに及ぶとか。
上の石のずれているあたりがヒキガエルの頭のようだとされ
この地方ではヒキガエルのことをゴトビキと呼ぶらしく
岩の名前はヒキガエルからきているらしい???
足の力を振り絞って最後の石段を登り参拝を果たす。
巨石に神様が宿るのも頷ける神聖さ。
後付けの社殿というのがよく伝わります。
そして社殿からの眺めは
熊野灘と新宮の街
左には熊野川の流れ…
来て良かった感じしかないヾ(≧▽≦)ノ
下りの階段は上りよりも怖く💧足の痛みは増し…
転んだら大変!と慎重に…
地元民は10分もあれば降りられるらしく
毎年2月6日には「お燈祭り」といって
松明を持った白装束の男衆が
ゴトビキ岩から一気に駆け下りる神事があるため
日々石段で練習をしているとかいないとか。
神武天皇に霊剣を献上するため
ゴトビキ岩から駆け下りる高倉下命が由来となっていて
現在は五穀豊穣、無病息災を祈るお祭りなのです。
「和歌山県朝日夕日百選」にも選ばれています。