早めに到着した私たち。
トロッコ電車小川口の駐車場は無料です。
まだ誰もいないホームに
止められたままのトロッコには
かつての荷台は無いけれど
かわいらしい小さな作業員用の人車が連結されてました。
大型犬のハウスみたいな?
紀和町一帯の地下には
かつて金や銀、銅を産出する豊かな鉱脈があり
1200年以上昔の奈良時代
当時は「無漏郡むろぐん(現・牟呂郡)」として
「続日本紀しょくにほんぎ」には銀を献上したことが記されています。
やがて
銅が採れるようになると奈良・東大寺の大仏鋳造にも
多くの銅が提供されました。
江戸時代には
この地で採れた金は
慶長小判や日光東照宮などにも利用され
海外へも通貨などの材料として輸出を行ったということです。
紀和町周辺の鉱山は30か所を数え
番所や役場などが建てられ
遺跡となり当時の繁栄をうかがい知ることができるのです。
昭和9年には
「石原産業株式会社」が
その地下資源の開発に着手し
戦時中は重要鉱山の指定を受け軍需産業を担い
昭和53年の閉山を迎えるまで
年間2000t以上の銅を産出
昭和38年の最盛期には3015t、従業員数862人
日本国内で6~7位を誇る鉱山となっていたのでした。
鉱脈の枯れた現在は
レールの一部を利用して
入鹿温泉とは3km、10分ほど先にある湯ノ口温泉とを結ぶ
観光用のトロッコとして
温泉客などに親しまれているのです。
運転席も
誰もいないから
角度を変えて撮り放題♡
待合室にある窓口で
切符となる「湯めぐり手形」を見せ ※当日窓口購入可
私たちの他に1人の計3人が乗車するのみ。
ホームに移動すると
乗務員さんが「乗ってー。」と言い
遠慮がちにしていると
「自動扉ちゃうから待ってても開かへんよ。」と( *´艸`)
腰をかがめて乗車したらセルフで扉をガタガタ閉めて
暑いので
同じく引き戸になっている小窓をガタガタ開けて…
きっと
小ぢんまりとした車内では
鉱山で働く人々が押し詰められ
『今日も仕事か~』と持ち場へ向かったのでしょう。
先頭車両に乗ることが出来ました。
ちなみに
現在のホームがあったところ
昭和60年ごろの写真が待合室にありました。
トロッコは乗車時と同じ向きで
後ろにトンネルがあるのも同じです。
そして
昭和30年ごろも
ほぼ同じ角度からの写真がありました。
今は森になっているあたり
鉱山関係の建物が存在していた模様…
窓を開けているので
トンネルの中の少しひんやりした空気に触れ
小刻みの振動を体感し
走る音が大きいので会話もそこそこに
トロッコの乗り心地を楽しみつつ
レールの分岐点を見つけては
町内を縦横に走っていた当時を想像し
あっという間に湯ノ口温泉到着。
川の上に設けられたホーム。
上の写真のすぐ左が廃線となっているトンネルで
奥から冷涼な空気が吹き出してエアコン要らずです。
3mほどトンネル内に入れたので涼んでみたのですが
天井から水が時折滴り落ちるのが嫌で
長居はしませんでした。
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湯ノ口温泉は
紀和町にある日帰り入浴施設と湯治施設を併せ持つ温泉で
「湯めぐり手形」で入浴できるのですが
この日の予定にそんな余裕もなく
折り返しの便の出発が9時30分なので
しばらくそこで過ごすことに。
川沿いには
湯治客の宿泊施設がいくつか連なり
洗濯物が干されていたりで
ここで生活されているのが分かりました。
下は昭和14年の写真で
左にトロッコが入鹿温泉向きに川の上に置かれ
中央の支線には湯ノ口温泉に入って来るトロッコが確認できます。
現在
その支線は取り払われ
ホームと入鹿温泉を結ぶレールのみとなっています。
川沿いを歩いて橋の中央からホームに向かってパチリ。
左は湯治客用の宿泊棟です。
トロッコと温泉以外何もないところでしたが
適度に待ち時間を過ごすことができ
折り返しの便に乗り
再び入鹿温泉へ戻っていったのでした。
時計は9時40分。
10時発・瀞峡巡りの乗船場へ移動せねば!!
次回に続く