「竹林の小径」では束の間の京都の雰囲気でしたが
どこにでもあるような町の景観に変わり
そろそろ温泉街も外れに来たようです。
マップに記してあるからには行かねば、と妙な使命感に駆られて
民家を抜けて目指すのは「源範頼みなもとののりよりの墓」
ほんと不審者じゃないんですよぉ分かるよね?
近いのかな?と思わせる看板は
散策マップによると残り490m。階段とは書いてない笑
源頼朝の弟・範頼のお墓にたどり着きました。
源平の戦いで義経とともに数々の功績を上げた範頼ですが
鎌倉から遠く離れたここに眠るに至ったわけに触れてみると…
範頼は兄の頼朝から同じ兄弟である義経殺害の命令を受けるも断り
それがもとで2人の関係は悪化してしまうのです。
1193年の「曽我兄弟の仇討ち」で頼朝も殺されたという誤報が入った際
範頼は頼朝の妻・北条政子を慰めるため
自分がいる限り源氏は安泰だから安心するようにといった旨を伝えるも
頼朝がおらずとも幕府は安泰、と解釈されてしまい
修禅寺に幽閉されたのち
頼朝の家臣・梶原景時かじわらのかげときらに討たれ非業の最期を遂げたといいます。
学習することもないのであまり気にせずいましたが
頼朝から疑いをかけられたばかりに…
義経のことも妬んだりして頼朝は疑い深い器の小さい人だったのでしょうね?
この後は
宿を目指しつつ温泉街中心部まで戻っていくと
温かい手湯があったり
修善寺温泉のはじまりである「独鈷とっこの湯」があったり。
この河原で病気の父の体を洗う少年に心を打たれた弘法大師が
手にした独鈷で川底を打つと霊泉が湧き
父子に温泉療法を教え10数年来の病が治癒したと伝わり
これが修善寺温泉発祥の温泉で伊豆最古とされます。
観光用なので入浴はできませんが屋根の下はこんな感じ。
「虎渓橋」を渡って「筥湯はこゆ」に出ました。
修善寺には7つの外湯があったそうで
その1つを再現したのが「筥湯」になります。
↑写真の左側が入浴施設、右が「仰空楼ぎょうくうろう」という無料の望楼。
筥湯で頼家が討たれたのですね…
2代将軍・頼家と修禅寺などはこちらからどうぞ。
中は…竹…??
夏目漱石が胃潰瘍で温泉療養に滞在したらしく
どうやら病床において仰向けで空を見ていた時に詠んだ漢詩から名付けたもよう。
かなり危険な容態だったとかで修善寺での2か月の間に命の尊さをして再確認して
後の作品に少なからず影響を与えたと。
階段を登って登って
360度パノラマ温泉街!!むしろ温泉街しか見えません♬
日没が早いので分かりづらいですが
「独鈷の湯」も見えてます。↓
そんなこんなで約1時間半ほどの散策を終え
中心からは少し外れますが宿に到着、入浴、夕食、就寝、朝食となりました。
こちらにお世話になりました。
追記
お宿の隣にありました。↓
見学は外観だけですが素敵です。「修善寺ハリストス正教会」