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【鶴ヶ城・会津若松城】の歴史【戊辰戦争】【松平容保】の生涯

戊辰戦争や白虎隊の悲話であまりに有名な鶴ヶ城は

「日本名城100選」「日本さくら名所100選」でもあり

会津若松市を訪れたなら是非とも足を延ばしたいところ。

 

まず鶴ヶ城の歴史に触れてみると…

1384年

葦名直盛が小田木(現三の丸周辺)に建てた

「東黒川館」が鶴ヶ城の前身で

「会津若松城」とか「若松城」と呼ばれることも多いようですが

その優美な姿から「鶴ヶ城」という名でも知られます。

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戊辰の戦後処理で解体された鶴ヶ城は
1965昭和40年に再建され
現在は郷土博物館兼展望台となっています。
しゃちほこの牙は純金、目は2カラットのダイヤだとか。豪華!
入城だけなら410円、茶室麟閣との共通券は510円なり。 

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14代続く葦名氏を破ったのは

奥州覇権を狙う米沢の伊達政宗で

会津を手中に収めるも

すでに豊臣秀吉が小田原攻めで全国統一を果たしたため

1年余りで会津を手放し宮城へ移るのです。

 

変わって入城したのは

秀吉が信頼していた蒲生氏郷で

伊勢の国松坂城12万石の城下町の整備や

小田原征伐の功などにより

92万石の大大名となったのでした。

近江の国日野の生まれである氏郷は

織田信長の娘・冬姫と結婚し義父を手本に

大規模な都市計画を行います。

野面積みの天守台の上に築かれた七層の天守閣は

北の要衝となり関東以北最大のもので「若松城」と名付けられ

郭内に家臣の屋敷を並べ

外堀の郭外には庶民を住まわせ要所に社寺を配置し

会津若松市の原型をつくりました。

今に続く会津の伝統産業である漆器や酒造、

本郷焼などの基礎も整えています。

 

その後

上杉景勝が入城するも

関ケ原の合戦後は会津へ再び戻された蒲生氏が2代

さらに伊予松山から加藤嘉明が入って増改築

今見るお城の姿となりました。

 

1643年には

徳川幕府2代将軍・秀忠の庶子であり

3代将軍・家光とは異母弟の保科正之が城主となります。

家光から実弟と認められた正之は

山形から会津藩初代23万石の城主となったのでした。

3代目・保科正容まさかたのときに松平の姓と葵の御紋を許され

会津は徳川親藩となり明治維新まで9代続くのです。

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保科正之は徳川家への恩を「家訓十五箇条」として表し

これは徳川本家に対する忠誠と藩士の心構えを示したもので

会津藩の精神的な柱となり

戊辰戦争の際には

この家訓十五箇条で忠誠を誓ってあるばかりに

新政府軍を相手に戦うこととなりました…

 

そうして迎えた1868慶応4、明治元

旧幕府軍が新政府軍へ江戸城を明け渡したことで

薩摩藩と長州藩の勢いもいよいよ増し

その矛先は

幕府の役職である京都守護職を勤め

佐幕派(⇔討幕派)であった「朝敵」会津藩へ向けられ

戊辰戦争へと突入してゆくのです。 

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戊辰戦争では藩士や新島八重など老若男女5000人が籠城し

板垣退助率いる新政府軍3万人の

激しい砲撃によく戦い1か月耐え抜くも

兵力の差を埋めることはできず

また頼みの綱の米沢藩など奥羽越列藩同盟も次々と降伏し

孤立した会津藩は

明治元年9月22日午前10時にお城の明け渡し

同日12時には降伏文書にサインをしたそう。

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黒船の来航から始まった幕末の動乱で

尊王攘夷派が幅を利かせる京の街の秩序の回復のため

尊王攘夷派の志士狩りと公武合体の主張

会津藩たるは将軍家を守護すべき云々の家訓に付け込まれ

恨まれ役となってしまった松平容保。

弟の京都所司代・桑名藩松平定敬さだあき共々

最後まで徳川幕府に忠義を尽くし

多くの老若男女をも巻き込んでの

新政府軍への抵抗は凄惨を極め

戊辰戦争の中でも「会津戦争」として区分しています。

 

翌明治2年5月

函館五稜郭での

旧幕府軍の降伏をもって戊辰戦争は終結

王政復古の大号令のもと

薩長を主体とする

明治政府が開かれる道筋が整えられたのでした。

 

なお

晩年の松平容保は

徳川家繁栄の基礎を築いた東照大権現(家康)を祀る

「日光東照宮」の宮司にも任ぜられ

徳川家の側に死ぬまで仕えたというのも

巡り合わせといえるでしょう。

 

明治26年12月5日肺炎のため59歳で没。

 

なお

会津若松を巡るなら周遊バスを利用するのも便利そうです。

 

路線バスが600円~で乗り放題になるフリー切符が紹介されています。

www.aizubus.com