「坂元醸造くろず情報館&レストラン」でのランチ後
海沿いの道では
福山の壷畑の多さに感心しつつ
垂水市たるみずしに入ってからは
あちらこちらに袋掛けされた枇杷畑が見られたりと
このあたりの気候が温暖なことを物語っていました。
大隈半島から「桜島口」交差点までやって来ると
南側を通る国道と
北側を通る県道に分かれます。
国道224沿いには
展望台や某歌手のモニュメントなど
見どころも多いようですが諸事情に付き
県道沿いで北上し「黒神埋没鳥居」のみ見ることに。
ところで
通過してきた「桜島口」
島でもないのに桜島とはなぞかけのようですが
かつては「瀬戸海峡」と呼んだ海で
桜島とは隔てられていたところ。
大隈半島とは360m、深さ75mあったという海峡は
薩摩藩時代に造船所がありました。
ところが
1914大正3年1月12日
桜島が大噴火。
20世紀以降国内最大級規模の噴火は
「大正大噴火」と名付けられ
58名を犠牲にし
約1か月に渡る噴火活動では仙台までも火山灰が観測され
東京ドーム1600個分に相当する約30億tもの噴出物は海峡を埋め
桜島は大隈半島の一部となってしまったのです。
以来
毎年1月12日は「桜島の日」と定められ
噴火を想定した避難訓練を行っているとか。
それにしても
ここまで来ても桜島の様相は全く見えないまま
鳥居は道の左側にあるはず、とゆるやかな登坂を進めると
左側に「駐車場ここ」の案内板が。
下りの道の先が見えない絶妙な場所で
そのまま駐車すると
料金として100円をポストに入れるようになっていました。
車を降りて鳥居方面へ歩くと気が付くのですが
下り坂の反対側には無料の駐車場があるのですよ、見えなかっただけで↓
有料のほうはアスファルトも無いむき出しの地面だし
なんだかもやっとしましたが料金も料金なので
利用した方々はネタが1つ出来た程度に笑っておきましょう。
反対に桜島港方面から来る車は
先に無料駐車場見つけられると思います。
黒神中学校を過ぎると現れるコレ↓
鳥居が埋まってます…
こちらは「腹五社はらごしゃ神社」への鳥居で
3mある鳥居の上部しか見えませんが
下は2mもの火山灰に埋もれているのです。
まさか信じられない、という思いと
噴火の威力と恐ろしさとが頭の中を巡り
この瞬間が平穏なことに思わず感謝したくなりました。
噴火の3日前から
島内いたるところの井戸が沸騰したり
海岸に大量の死魚が浮いたりといった前兆があったそうで
なんとも不気味ですよね。
地面は火山灰と思われる黒く細かい砂状で
朝方の雨で少し湿っているようですが
「本殿→」とあるので行ってみることに。
参道を進めると
先生が「こんにちは」と右から左へ横断してゆき
これは学校の所有地なのか神社で学校が分割されているのか
どうでもいいことをだらりんと話しながら
小屋かな?と建物を発見。
鈴が下げられているのが分かり
「これが本殿!!」と2人で驚き。
噴火で完全に埋もれてしまった昔の本殿の上に
こちらが建てられているのを
また信じられない気持ちで見て…
ご祭神は此花昨夜姫命このはなさくやひめのみことで
さくや島が転じて桜島になったという説もあるようです。
かつては「五社大明神」といわれ桜島の鎮守で
薩摩藩島津家の信仰も厚かったとあり
栄えていたことでしょうが
噴火後あえて鳥居を発掘せずに
訪れる人々に爆発の猛威を伝えているのでした。
下の写真が前述した無料駐車場で(お手洗いも完備って)
桜島内にいくつかある退避壕も兼ねています。
埋没鳥居は30分ほどで切り上げて
このあとは桜島港からフェリーで鹿児島港へ。
20分ごとに発着があり
乗船2分前まで受付可というヤル気満々なフェリー。
料金は
道路から港内に入る際
乗車したまま払うようになっており
運転者1人を含む5m未満の車両は1950円
同乗者1人当たり200円でした。
利用者も多い印象で
15分間という短い乗船時間ですが
客室は出航と同時にたくさんの人。
友人が
「船内でうどんを食べるように」と言っていたので
まだお腹は全然空いていなかったのですが
だらりんと半分こすることに。
「やぶ金」というのれんをくぐり
かけうどんを注文すると秒で出てきました^^
割れない容器と
紙袋のない割り箸のチープな感じがいいですね。
味は
乾麺から茹でたような?食感と
出汁はちょっとこだわってるかのな?という
昆布と魚から取ったような出汁と塩気とで
美味しく飲めます。
さらに鹿児島らしいさつま揚げもトッピングされて
お腹空いてないのに食が進みました。
お値段は少々…ですが
美味しいので許す←ずいぶんと高いところから
さらに
船内には桜島フェリーグッズが‼
食べて売店を見て、と
15分間全く退屈せずに鹿児島港に到着したのでした。
つづく