ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

「小松航空プラザ」からの日本唯一!【飛行神社】日本の航空機の父【二宮忠八】を讃える

石清水八幡宮を参拝したなら

是非とも訪れてほしい。

 

同市内の

しかも「はちまんさま」の麓(頓宮殿)から

徒歩わずか5分(400m)のところにある

「飛行神社」を!!

 

去年の11月

「はちまんさま」の帰路

通りすがりに見つけた案内板「飛行神社」。

 

聞いたことないなぁ、歴史浅そうだし。

いろんな神社があるもんだ…くらいに思ってました。

 

今年の9月

石川県へ行かねばならず

いつものように隙間時間に

その土地を探検をするのに

たまたま選んだのが「小松航空プラザ」。

 

 2020年6月6日から公開中の

前政府専用機の貴賓室を見るためでした。

f:id:sachi0801aki:20201209134728j:plain

このコーナーに至るまでには

航空機の歴史が知れるようになっていて

世界で初めて

飛行機で空を飛んだのはライト兄弟というのは

あまりにも有名ですが

世界で初めて飛行機の原理を発見したのは

なんと明治時代の日本人・二宮忠八なる人物で

解説では

愛媛県八幡浜出身であること

京都府八幡市で飛行器(機)の研究をしていたこと

私財を投じて八幡市に「飛行神社」を創建したこと

…などが記されており

そこで初めて八幡市で見た案内板とが

つながったのです。

 

そんなことがあって

政府専用機の貴賓室も見れたは良かったのですが

二宮忠八と飛行神社への興味が湧き

訪ねてみたのでした。

 

「はちまんさま」をあとに

住宅街をてくてく…

 

なにやら

私の知ってる神社じゃない外観の

「飛行神社」発見!!

f:id:sachi0801aki:20201209151101j:plain

 

ガラスケースの中は

F104戦闘機のジェットエンジンとあります。

 

今回は徒歩で訪問しましたが

乗用車で参拝したい人のために

駐車場も確認しておきました、出来るブロガーなので( ー`дー´)キリッ

 

看板の前から侵入すると↓

f:id:sachi0801aki:20201209152515j:plain

地下駐車場へ入れます↓

f:id:sachi0801aki:20201209152532j:plain

駐車料金は1時間無料ですが

f:id:sachi0801aki:20201209152742j:plain

↑「絶対に」という厳しめの書きかたでビビります^^;

5∼6台分くらい駐車できそうでした。

f:id:sachi0801aki:20201209153122j:plain

そして

こちらの神社もやはり

コロナの影響で手水舎は使用できず

代わりに綺麗なお花で埋め尽くされていました、なんだ優しい♡

f:id:sachi0801aki:20201209154000j:plain

階段を上ると

植え込みの中には

大阪湾で漁網にかかった零式戦闘機のエンジン↓

f:id:sachi0801aki:20201209154322j:plain

そして

アプローチを数歩進めば本殿です。

 

こちらにも

「写真だけ撮るのは失礼云々…参拝してから云々…」

とありましたので

参拝して資料館を見学したあとで撮影しました↓

f:id:sachi0801aki:20201209162227j:plain

注意書きを読み過ぎたせいか

ありもしない視線を感じていたので

撮影も1回一瞬だけです^^;

 

飛行神社は

二宮忠八が1915大正4

空の道を志した人間として

飛行機事故犠牲者を見過ごすことができない、と

自邸内に飛行神社を創建

自らが神主となり

空の安全と発展を祈願する場としたのが

はじまりとのこと。

 

ご祭神は

古代より空の神として信仰される

饒速日命(にぎはやひのみこと)で

天磐舟(あめのいわふね)という船形の飛行機で

河内の国に降り立ったという神様で

大阪府交野市の磐船神社より

勧請された分霊が第一殿に。

 

航空事故で亡くなられた方々と

航空界に多大な影響を与えた方々を

第二殿にお祀りしています。

 

航空安全と

二宮忠八という発明家らを祀ることから

開発、発明祈願、学業成就、合格祈願などの御利益が。

 

また

第三殿は薬光神社として

薬業界の偉人はじめ

二宮忠八とゆかりの薬学会の仲間を祀り

健康長寿、病気平癒、

医学界、薬学会の発展を

祈念するところとなっています。

 

ほか

常盤稲荷社。

 

ギリシャ神殿のような?柱が印象的な拝殿は

随分と新しいような印象を受けましたが

1989平成元

飛行原理発見100周年を記念して

社殿や資料館と共に

二宮忠八の次男・顕二朗氏の建て替えだそう。

 

さて

飛行神社に併設されている「二宮忠八資料館」も

ここまで来たら是非とも見たいもの。300円なり。

 

当時は日清戦争という時代背景から

忠八の考案した玉虫型飛行器(機)は

予算不足で製造できなかったものの

設計図のとおりに組み立てると

飛べることが判明しています。

f:id:sachi0801aki:20201209134744j:plain

※画像は玉虫型飛行器の復元模型で「小松航空プラザ」内に展示してあるもの

 

子供のころの忠八は

薬種商の叔父の手伝いをする中で

物理や化学の知識を深めながら

凧を自作することを得意としていました。

 

やがて歩兵隊の演習先で

カラスの飛ぶ様子を観察し飛行原理を発見。

 

「カラス型模型飛行器」を作り

空気抵抗を利用して10m飛ばすことに成功しています。

 

続いて

人が乗れる「玉虫型飛行器」を考案するも

実験を目前に出兵。

 

軍用機として活用してもらうべく

自分の研究を上司に申し出るも

「西洋人に出来ぬことを日本人ができるわけがない」と却下。

 

大阪製薬株式会社で働きながら制作資金を貯めつつ

高品質の薬品を製造し会社の発展にも貢献しながら

独学で研究を重ねていたのです。

 

京都府八幡で

完成に向けて実験をしていた1903明治36

ライト兄弟が有人動力飛行に成功。

 

日本にはすぐにそのニュースは届かず

1905年

いよいよ自作のエンジンを構想した矢先

ライト兄弟のニュースを知ることとなり

自身の努力の結晶である飛行器を

その場で壊してしまったといいます。

 

様々なタイミングの悪さで

世界初の快挙を逃すこととなり

忠八は

今、製造したとしても

西洋人の真似事という評価になるだけ、と

二度と飛行器のことは口にしなくなったと。

 

1922大正11年になって

ようやく研究が評価され

かつての忠八の上司は謝罪したのでした。

 

歴史に「もしも」は存在しませんが

日本の資源がもっと豊かで

軍用機として研究開発され量産されていたなら

日本は勝利を収めていたかもしれない

というより

世界で初めて空を飛んだ人として

高く評価されていたことでしょう。

 

知ってのとおり敗戦後の日本は

GHQから飛行機の研究開発を禁じられ

世界からは遅れをとっていますから

大正時代から

飛行機を製造改良していれば

戦艦に力を入れることなどなかったのでは?

と考えてしまいます。

 

晩年の忠八は

独自の幡詞という歌や幡画という絵などを残し

芸術家としても評価されており

多才な、という表現だけでは追い付きませんが

稀にみる秀でた才能の持ち主ではないかと思うのです。

 

さて

資料館を出て飛行神社ならではの

「神飛行機おみくじ」を引いてみました。

f:id:sachi0801aki:20201210113508j:plain

ご託宣を読んだら

紙飛行機にして丸い鳥居へ奉納します。

f:id:sachi0801aki:20201210113523j:plain

飛ばす距離は関係ないので

超!至近距離から奉納しておきました^^;

 

さらに社務所で授与していただいたのは

任務遂行御守りなど…

f:id:sachi0801aki:20201210114300j:plain

航空関係に就いている子供へ送りたいと思います^^