さすがに平日は暇なのか内宮の駐車場は
再び同じ場所へ止めることができました。
伊勢神宮は
9∼4月は5時から
夏場は4時から参拝できます。
神宮の象徴ともいえる「宇治橋」前では
冬至の頃を中心に
鳥居の向こうからの日の出が拝めます。(7時半ごろ)
朝日に照らされると
きらきらと橋の上の霜が反射して
俗界からいよいよ神域へ入るのかと
渡りながら自然と気持ちが引き締まります。
戦後初のご遷宮は
1949昭和24年のところ
世情に配慮して昭和28年まで延期されましたが
宇治橋の架け替えだけでも、との声を受けて造替が行われ
第62回・御遷宮(2013平成25年)でも
4年早いまま(2009年)となっています。
「饗土橋姫神社あえどはしひめじんじゃ」は
宇治橋の守護神として橋の入口にご鎮座。
宇治橋の欄干には16基の擬宝珠があり
下流側2番目の擬宝珠の中に
万度麻まんどぬさという神札が収められているのは
神宮ツウの間では知られたお話。帰りに擬宝珠に触れると神宮を再訪できるとか
宇治橋の上流には
等間隔で「木除け杭」が打たれ
流木で橋脚に傷などつかないように工夫しています。
長さ101,8m
橋脚には水に強い欅
上部は総檜造りで
これほど大きな和橋は他に類を見ないといいます。
そして
宇治橋の内と外の大鳥居は
内側は内宮の御正宮に使われた棟持ち柱
外側は外宮の棟持ち柱が鳥居に加工されたもので
さらに20年たつと
内側の鳥居は「関の追分」へ。
外側の鳥居は「七里の渡し」へ。
御正宮の棟持ち柱は20年、20年、20年
計60年を勤めあげるのです。
↑大正天皇が皇太子の頃
お手植えされたという松がある「神苑」を抜けて
「火除け橋」が見えてきました。
明治の中頃までは
火除け橋までが民家だったところで
防火用水が流れます。
手水舎は右で内宮は右側通行ですが
お天気が良ければぜひとも五十鈴川ほとりで禊をしたいもの。
清らかな流れを見せる五十鈴川は
「いすゞ自動車」の名の由来でもあります。
石畳は
江戸幕府3代将軍・家光の側室で
5代綱吉の生母・桂昌院の寄進というと
300年近く前?
台風などで増水しても翌日には澄んだ水に戻るといい
ここで太古の昔から禊が行われてきました。
五十鈴川の守り神、水の神というのが「瀧祭神たきまつりのかみ」
社殿の無い簡素なままの造りで
地元では毎年8月1日(八朔)
五十鈴川で汲んだお水を供えてから
持ち帰り神棚へ祀り
無病息災を祈る風習があるのだといいます。
「とりつぎさん」とも呼ばれ
内宮にお参りする際は自分の名を告げて
取り次いでもらうとも。
「では今からお伺いしますよー」
と取り次いでいただきます^^
ここから
御正宮まで5分は歩くでしょうか。
外宮の5倍の大きさを誇り
その面積は5500ha。
敷地面積の90%が森林で
域外の別宮や摂社などを含めると
日本一の広さとなり
東京の世田谷区がすっぽり収まってしまうとか。
伊勢市全体で見ても
内宮は市の6分の1を占めています。
社務所や神楽殿を過ぎて
樹齢700年という神宮杉の下を
ざくざくと玉砂利を踏みしめて。
最後は30段ほどの石段をのぼって
天照大御神の御前です。
先月の無事を感謝してから
お馬さんのことが気になり
黒コートでダブルの金ボタンも凛々しい衛士のかたに
「お馬さんはまだ来られてませんか?」と尋ねると
「だいたい8時前になります」と確認でき
時計を見て安心しました。
7時40分現在。
お馬さんは茶色の毛並みという認識なので
こちらへやって来る茶色を見ては
また茶色い服装の参拝者かと^^;多すぎやろ茶色
まだかなまだかな、と7時55分
私のように人待ち顔の人も5,6人になり
お…?
白い斎服をまとった神職に引かれて
お馬さんが来ましたーーー!!!