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受け継がれる匠たちの技術!式年遷宮の意義を知る【神宮徴古館じんぐうちょうこかん】神に仕える人々

「倭姫文化の森」内にある

「神宮徴古館」にやって来ました。

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どうです?この外観。

失礼ながら地方にしては格調高い重厚な建物です。

 

1909明治42年に完成した当時も

宇治山田という一地方に

このような壮麗な建物ができたのは

大変話題になったようです。

 

文化の森内の「神宮農業館」と共に

赤坂離宮(現・迎賓館)を手掛けた片山東熊の設計で

日本最初の私立博物館(有栖川宮様総裁)として

1911明治44年に神宮に奉納されました。

 

1998平成10年には

国の登録有形文化財の指定を受けています。

 

戦災で外壁以外を焼失したため

1953昭和28年10月1日

第59回のご遷宮に合わせて

外壁を活かした鉄筋コンクリート造りの2階建て

屋根は初期の細やかなデザインから

簡略して寄棟造りに改修完了しています。

 

「式年遷宮」で撤下された宝物類は

これまで埋納や焼却されてきましたが

神宮徴古館では

宝物類作成の技術伝承のために保持かつ

式年遷宮の意義を紹介するため宝物の一部を公開したり

神宮の歴史や参宮などにかかわる資料を

展示しています。

 

建物の価値もさることながら

神様に捧げる宝物類「御装束神宝おんしょうぞくしんぽう」が

見られるとあって気になっていたところでした。

 

行って良かった!というのが感想ですが

興味のない人は何を見てもつまらないでしょうね。

 

館内は撮影、模写禁止になっていますが

神事を取る神職の斎服や冠、浅沓の紹介に始まり

御正殿の御扉の厳重な2重の鍵の大きなこと。

 

神嘗祭はかつて旧暦9月の満月に行われていたことや

日本人の主食であるお米…とれたての新穀で

天照大御神からの恵みに感謝を捧げる儀式は

「由貴大御饌ゆきのおおみけ」といって

お米以外にも鮑、三枚おろしの鯛に伊勢エビ、といった海の幸

鶏むね肉のようにさばいた野鳥や鮎など

生の物も供えるのが意外でした。

 

ほか

柿とか大根などの野菜もあり前ブログ記述の4種のお酒など

いずれも土器に盛り付けられてちょっと原始的で

だけど豪華で神聖な。

 

神嘗祭と対比するかのように

日々の御饌(神饌しんせん)の紹介があり

式年遷宮で解体された御饌殿が

正面だけではあるものの実物が展示されていて驚き。

外宮の「せんぐう館」には御正宮の御扉があったっけ。

 

御垣に囲まれてるから

ここに来ないと一生見れないやつだ♡

 

「日別ひごと朝夕大御饌祭」のようすが

映像と実物展示とでイメージもしやすく

早朝から火鑚具でおこした火と

忌火屋殿から立ち上る煙

唐櫃からひつに御饌を納めて御饌殿へ

雨の日も風の日も国がどんな状況であろうと

1500年間毎日お運びして

両宮と別宮の神様たちへ捧げられ

皇室の安泰と国民が幸福であるようにと

私たちの知らないところで繰り返し祈られているとは。

 

メモも取れないのでホムペで確認したところ

神饌は御飯三盛、

鰹節、魚、海草、野菜、果物、

御塩、御水、御酒三献にお箸が添えられるとのこと。

 

それから

天照大御神の天岩戸伝説や

瓊瓊杵尊ににぎのみことの天孫降臨

初代・神武天皇の御東征など

日本神話の絵解きかな?と思いきや

紫式部?那須与一?信長家康までなんでなん?と混乱しましたが

日本がはじまってから

上皇陛下がお誕生までを絵画にしてあったという

国史絵画のコーナーでした^^;

 

2階に上がると

戦国時代に式年遷宮が100年余も行えず

荒れ果てていく神宮を復興させるべく

全国を旅して浄財を集めた慶光院上人についてですが

名前は知っていても

伊勢の慶光院という尼寺で

歴代の住職が慶光院を襲名していて

1人ではなかったことと

歴代が神宮の復興に携わっていたこと

明治時代に廃寺になってしまったことが分かりました。

 

参宮についても

江戸時代は信仰のためなら旅の制限もゆるく

空から皇大神宮の神札が降ったなどと噂がうわさを呼び

白衣に菅笠、柄杓ひしゃくを1本という姿の

多くの民衆が神都・伊勢へ押し寄せ

奉公人は主人に無断で、妻は夫に内緒で、子は親に断りなく

ある日突然姿を消して

伊勢参詣を実行したのが「抜け参り」で

当時の人は人情深く

沿道の人々は柄杓を持った人を見ては

食べ物や宿泊を提供して

自分が施せば巡り巡って施しが帰って来る

それは神様のおかげであると

いつしか「おかげ参り」と呼ばれるようになり

太陽神、商売繁盛など万物の神である皇大神宮へ参るには

誰も妨げることはできず

妨げたならその者に天罰が下ると

本気で信じられていた時代だったのです。

 

全国からたくさんの人が集まる伊勢は

文化の交流地点でもあり

新しいものがやってくる憧れの地でありました。

 

実際の柄杓や衣装、宿帳などもあり

心躍らせながら伊勢へ伊勢へと

長い道のりも歩けたのでしょう。

 

また

伊勢参りを各地へPRして歩いた

門前の祈祷師宿屋案内人でもある御師おんし、おしについてや

勧誘の手土産品である伊勢暦(今でいうカレンダーは日本初)は

明治に入って御師が廃絶されても神宮歴として引き継がれています。

平成27年のものが残してありました^^;

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伊勢暦から迷信的な記述を排除して

現在では農林業、漁業関係にはもちろん

家庭菜園などでも活用されている暦で

毎年10月には

授与所で手に入れられます。

 

最後は

撤下された実物の御装束神宝で

これが一番見たかったもの^^

 

その1つ太刀身たちみ

60もの種類の異なる刀を納めるようで

古代の製鉄法たたら吹きから

砂鉄を鋼はがねに変えて鍛錬して仕上げますが

手の込んだ「玉纏御太刀たままきのおんたち」は

金色の柄と鞘に水晶や琥珀などの宝石がはめ込まれ

目を見張るものでした。

 

通常の刀のような反りは無く直刀で長さもあり

刃の紋も波打つ感じでなく真っすぐなのが

古墳時代あたりから奈良時代までの刀の特徴とか。

 

敗戦国・日本は刀の所持、生産を禁止され

刀匠たちは廃業を余儀なくされましたが

1953昭和28年の式年遷宮で

再び脚光を浴び

現在まで技術が受け継ぐことができました。

 

常若とこわかのごとく

永遠に変わらないご遷宮は

いつまでも麗しい御正宮で

大神が瑞々しくお力が発揮できるようにとの

願いがあってのことなのでしょうが

ほかにも

糸を組んで帯や袋となる組み物や機織もの

天然素材を使った染め物や鏡など

太古の昔からの技術が継承されてきたのも

ご遷宮が1300年間続いてきたからこそ。

 

この日のために

8年がかりで準備をするというのもうなずけます。

 

人間国宝ら2000人以上の職人が関わっており

引き継ぐ人は絶えないだろうかという心配と

いつまでも続いてほしいという願いと

日本って凄いなーという誇りと

美しい御神宝が見られて目の保養になったのと^^

 

ずいぶん前に

知人が勧めてきて

「凄い」と言っていたのが理解できました。

 

自分のペースでゆっくり見られたのも良かったです。

 

なお

入館料は500円で「神宮農業館」と共通券になります。