おうちご飯と ときどき旅と

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

江戸幕府の権威を周知させる【二条城】絢爛豪華な「二の丸御殿」と庭園と「加茂七石」って?

京都市内の中心部。

 

落ち着いた街並みの中でも

石垣と白壁が

ひときわ目を引きます。

 

数ある京都の世界遺産の中で

唯一のお城の遺産「二条城」です。

 

江戸幕府初代将軍・徳川家康が

1603慶長8年 

豊臣恩顧の諸大名に造らせたもので

天皇の住まう京都御所の守護と

将軍が上洛する際の

宿泊所とするためのお城でした。

 

江戸幕府のはじまりと終焉

江戸時代という歴史を

幕府と共に歩んできたお城です。

 

2011平成23年の訪問ですが

特に景観は変わっていないと思うので

画像を貼っていきます。

 

↓堀川通に面する「東大手門」重文

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大手門から石垣をたどれば

東南と西南には隅櫓も残されています。

 

以下

二条城での主な出来事を

ざっくりと取り上げました。

 

家康のころには

征夷大将軍就任の祝賀や

立派な大人へと成長した豊臣秀頼との会見

豊臣家滅亡へ追い込むための

大坂の陣はここから出陣。

 

3代将軍・家光は

第108代・後水尾天皇を迎え

江戸幕府の支配を世に知らしめました。 

※後水尾天皇の皇后(中宮)は徳川和子まさこ
 2代・秀忠と正室・江との間に生まれた5女
 徳川家の血を継ぐ天皇を産ませようという
 祖父・家康の政略で天皇家に入内じゅだいした

  

家光以後は江戸城が中心となり

将軍が入城することも無く

火事や落雷で天守や本丸御殿が焼失しても

修復されないまま荒れていたようです。

 

1863文久3年には

外国勢力の排斥を求める孝明天皇に応えるべく

将軍としては229年ぶりに

14代・家茂いえもちが上洛。

 

入城する際ようやく修繕され

15代・慶喜は二条城で職務を行っています。

 

長州藩と薩摩藩による倒幕運動の末

1867慶応3

慶喜が二条城の大広間で

政権を朝廷に返す「大政奉還」を表明。

 

明治に入ると

皇室の別邸・二条離宮となったことから

二条城のあらゆるところにあった

徳川の葵の紋は取り外され

菊の御紋に替えられたのでした。

 

昭和に入り京都市に下賜された二条離宮は

「元離宮二条城」が正式名称で

2005平成17年には

築城400年を迎えています。

 

東大手門をくぐり

↓極彩色の「唐門」はパンフから^^;

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金細工の下には葵の紋があるらしい。

 

↓「二の丸御殿」国宝

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日本の城郭の中で

再建ではない当時のまま唯一残る二の丸御殿は

興味があれば拡大して読まれたい↓

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御殿の外側は「二の丸庭園」特別名勝

 

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画像は一部分ですが

池の中央に蓬莱島と南北に鶴島と亀島を設け

4つの橋で結ばれています。

 

不老不死や

永遠の繁栄への願いが込められているとされ

後水尾天皇行幸のために

作事奉行・小堀遠州によって作庭されました。

 

角度によっては鶴と亀が見える

小堀遠州の遊び心^^

 

1方向だけでなく

二の丸御殿の大広間、

黒書院、行幸御殿(現存せず)の3方向から

鑑賞できるように工夫されています。

 

二の丸庭園を過ぎると内堀となり本丸です。

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広々とした芝生の中にある

↓「本丸御殿」重文

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当初の御殿は1788天明8年の大火で焼失し

幕末に再建されるも取り壊されました。

 

現在のものは 

1893明治26年に

京都御所にあった桂宮御殿を移築したもので

宮家の御殿建築がうかがえるもの。

 

天皇家の離宮として機能していました。

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曲線のアプローチが

西洋の影響を少なからず受けているもよう。

 

↓御殿の正面玄関。

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↑唐破風も立派な車寄せ

客人は奥の建物に通されるまで

この建物で控えていたそう。

 

↓本丸の端に位置する天守閣跡。

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5層の天守の最上階は

高さ40mほどであったと考えられ

京の町が一望できたことでしょう。

 

↓こんな感じで憩いの場になっています。

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↓天守台から本丸御殿を望む。

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本丸から出てきたところには

京都の銘石が↓

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7つの石それぞれ名がありますが

総称して加茂七石かもしちせき。

 

庭園の素材として珍重されたり

水を張ったお盆に石を置いて

鑑賞して楽しむ「水石すいせき」という

究極の趣味があるらしい。

 

日本水石協会によると

水石(すいせき)とは、山水景石の総称です。水石は、一石のなかから大宇宙を感得する物で、趣味の中でもっとも奥を極めたものといわれます。 また、水石と盆栽は車の両輪ともいわれています。自然芸術趣味の極致といわれる水石は、日本的美意識の神髄です。 水石の観賞は、大自然に心あそばせ、すぐれた山水景石や姿石、紋様石を見て森羅万象を感じ、自然の風物詩に溶けこんでゆく幽玄な侘び寂びに通じる沈潜した無限の世界があります。

 とのこと。

 

私には100年早いかも^^;

 

話が逸れてしまいましたが

戦後に進駐軍のテニスコートが存在していた場所に

1965昭和40

「清流園」なる日本庭園が造営。

 

一角には

保津川や高瀬川などの開削で知られる

角倉了以すみのくらりょういの屋敷から

移築したという「香雲亭」など。

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子供のころに見学したきりの二条城は

二の丸御殿だけという

勝手なイメージでしたが

用途別に分かれた部屋の天井や襖絵の意味

鴬張りの廊下

欄間彫刻の技術の素晴らしさ

隅々になにかしらの工夫がありました。

 

また

城内を1周してみると意外と広く

日本庭園の美しさの中の隠された意味や

加茂七石という存在と水石という趣味など

新たな学びもありました^^

 

写真を振り返って

こうして記録に残すのも

良いものですね^^