第11代垂仁天皇の皇子であり
倭姫命の弟にあたる「大村おおむらの神」。
大村の神は「大村神社」のご祭神で
古事記では「伊許婆夜和気命いこはやわけのみこと」
日本書紀では「池速別命」と記されています。
伊賀の国・阿保あおの地を父より与えられ
一帯を開拓、開発したこの地の守り神。
命みことの宮が築かれたところが
現在の大村神社で
地鎮、地震除けの神様としても
信仰を集めるところ。
地震の国に暮らしながら
地震の神様の存在を数年前ようやく知り
この度お邪魔してきました^^
およそ1100年前の
延喜式の神名帳じんみょうちょう、しんめいちょうにも
社名が記載されているという
朝廷からの崇敬も篤いお社です。
由緒によれば767神護景雲元年
常陸下総の国より称徳天皇が
大和の国・三笠山へご遷幸。
大村神社で休息された際
武甕槌神たけみかづちのかみと
経津主神ふつぬしのかみを奉斎されました。
地震の神様らしく
鯰がいっぱい♡
神社でこの可愛さは反則でしょーが^^
…と思いつつ
地震の神様と鯰の関係が気になり
調べてみることに。
並び祀られる武甕槌神は
常陸の国の一宮「※鹿島神宮」の神様。
※紀元前660神武元年の創建
経津主神は
下総の国の一宮で「※香取神宮」の神様。
※紀元前643神武18年の創建
神話では
出雲の国造りをやり遂げた大国主命に
出雲を朝廷へ譲るよう、
国譲りの交渉をしたのがこの二神。
(いろいろあったけど)
葦原の中つ国を平定し終え
それぞれ常陸と下総へ鎮座。
しかし古より地中には
日本の国土全域にも及ぶような
大きな鯰が住んでいて
暴れ騒ぐゆえ地震が多く
なおただよえる国のまま。
二神は協力し合って
地中に深く棒(要石)を差し込み
武甕槌神は鯰の頭を
経津主神は尻尾を突き通す。
要石は今も
鹿島神宮は凹型、香取神宮は凸型に
ほんの少し地上に頭を出していて
深さは幾十尺あるとか。
水戸光圀が1684貞享元年
七日七晩、要石を掘らせたものの
根元を見ることができなかったと伝えられます。
さて
大村神社にも奉斎され
地中深く広がったという要石が↓
直接拝することはできませんが
要石社の中でしっかりと
日本国を繋ぎとめてくださっているのでしょう。
ゆるぐとも よもやぬけまじ要石
大村神のあらんかぎりは
と詠まれていて
この地では
大村の神の名を唱えて
江戸では神様を「鹿島の神」に置き換えて
地震除けとしていたようです。
余談になりますが
1855年「安政の大地震」後
大きな被害が出た江戸の町では
鯰の絵を描いた鹿島神宮のお札が大流行しています。
地震が起こったのが神無月(10月)だったのは
武甕槌神が
出雲へ行き不在だったためという説もあり
現実と神話の世界のタイミングが
結びついているのも興味深いです。
大村神社では
安政や関東、阪神などの震災でも
この地をしっかりと守ってくださいました。
本殿の後ろには
ほとんど見えませんが重文の「宝殿」↓
明治時代
本殿の役割を終えています。
彩色は江戸時代でも
木組みは500年前の貴重なもの。
桃山様式って感じがします。知らんけど
ほか
このかわいさよ^^
なお
宮内庁が公式とする息速別命墓(西法花寺古墳)が
阿保の西にあり「親王さん」と呼ばれているそう。
地震は来てほしくないですが
大きな被害が出ないように
また
いつ来ても不思議ではないので
慌てない心で行動できるよう祈ってきました^^
毎年9月1日の防災の日には
地震除災祈願大祭が行われています。