ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

3つのお城が建てられた【伊賀上野城】その経緯と今も残る高石垣から戦略を見る!?

伊賀上野城の

「高石垣」を愛でるための案内板から。

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…のはずなのに

枝草が邪魔なことを観光協会に伝えたいです^^;

 

入城する前に

東西の大手門跡を確認したかったのですが↓

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こんな立派な「白鳳門」なる門が現れたので

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もうこれでいいや、と

こちらから坂道を登りました。遠くなるし

 

標高184mの丘の上の石垣

…からのこの風景^^

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30mある内堀の石垣は

ビルなら8~9階建て相当とか。

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1段の石垣としては

大阪城か伊賀上野城か

1,2を争う高さだそうですよ^^

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石の積み方は「打ち込み接うちこみはぎ

津藩お抱えの穴太衆によるもの。

 

石を加工して

接地面を隙間なく積むもので

正層積みと乱積みに分かれ

こちらは乱積み。

 

反りの無い平面な石垣は精巧で

よじ登るのは難しいでしょう。

 

大阪城は

大きな石ばかりな気がするけど

こちらのは

そこそこ大きいけど小さいんですね^^?

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そして石垣を複数回折り曲げることで

死角をなくすのもお約束^^

 

総延長は368mに及ぶそう。

 

ただ

こちらのお城

立派な石垣があるのは西側だけなのです。

 

豊臣秀吉亡き後も

まだ大坂城を中心に残る

豊臣方との戦いに備えるために。

 

この丘は

もともと平清盛ゆかりの

平楽寺というお寺があったところ。

 

秀吉に仕えた筒井定次が

1585天正13年に

伊賀上野城を築きました。

 

ところが

筒井氏が改易となり城は崩壊。

 

関ケ原の合戦後

徳川家康の命令で

宇和島城から入封したのが藤堂高虎で

新たな伊賀上野城を築くことになります。

 

伊賀は盆地である上に

西に木津川と

東から北へ服部川が流れる天然の砦。

 

さらに

筒井氏のつくった本丸を西へ拡張し

五層の天守閣と高石垣を

西側に築くことで防御の要としています。

 

同じく築城名人であった加藤清正は

熊本城に代表されるような

「扇の勾配」を多用しています。

 

反りの強い石垣は

登れそうで登れないのがポイント^^

 

伊賀上野城と

井伊家の彦根城

池田家の姫路城とで

大坂城は完全包囲。

 

総監督は

親藩徳川御三家の名古屋城。

 

大坂城に動きがあれば

直ちに察知できるのです。

 

豊臣家を守るために造られたお城が

攻めるために造り替えられるとは。

 

高虎の手掛けた伊賀上野城の天守は

見事な出来上がりが期待されましたが

あと少しというときに暴風雨で倒壊。

 

180人もの職人たちが犠牲となり

再建を準備する間もなく

大坂の陣を迎えたのでした。

 

その後

江戸幕府による一国一城令や

城普請の禁止が下され

天守閣の再建は叶わぬままに。

 

しかし

本城である津城があるにもかかわらず

支城として残すことが認められています。

 

本来なら高虎は

豊臣家に仕えたのちの徳川家の家臣なので

外様大名のはずですが

徳川からは譜代大名のような

恵まれた待遇を受け

支城を持つことを許されるほど

信頼が厚かったのでしょう。

 

お城跡一帯は国の史跡名勝となっています。

 

現在のお城は3代目

高虎の残した天守台の上に

1935昭和10年に建てられたもの。

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再建してある天守って

戦後のイメージが強いのですが

まさかの昭和10年。

 

数少ないのではないでしょうか。

 

この地出身の代議士川崎克かつ

伊賀地域の文化と産業の振興の拠点として

支援者の協力を得ながら

私財を投じて建てたもの。

 

木造三層の大天守と二層の小天守を持ち

「伊賀文化産業城」と名付けられています。

 

便宜上「伊賀上野城」と呼んでいますが

正式名称があるのですよ^^

 

白壁の優美な姿から「白鳳城」とも

呼び親しまれています。

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小天守が切れてまた上手く撮れてない、落ちつけ^^;

築城から現在まで90年近くを数え

1985昭和60年には

市の有形文化財の指定を受けています。

 

日本100名城の1つでもあります。

 

木造での築城という

技術の継承にこだわった川崎克氏。

 

当時の評価は分かりませんが

価値の高いものを残してくれましたと

感謝しながら

次はいよいよ入城です^^