ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

ふらり【伊賀上野城】その遺構や【松尾芭蕉】の【俳聖殿】などが集まる【上野公園】

天守閣の見学が長かったので

係のかたから

「熱心に見てくださって」と

声を掛けられました。

 

楽しかった旨を伝えると

ご存知のことでしょうが、と

伊賀上野城のちょっとした知識など

お話していただき…

 

最後は

お声がけしてすみませんでした、だなんて

こちらはとてもありがたかったのに

謙虚すぎるもほどがある^^

 

石垣は

美しい平面を見せていたものの

中央上部が少し歪んで

崩れてきているのが分かります。

それでも

藤堂高虎の頃から400年以上。

よく持ち堪えていて

技術の高さがうかがい知れますね。

 

高虎の天守台の東には

筒井定次の天守台。

豊臣秀吉が

大坂城を中心とした大名配置を行った際

大和郡山から移封してきた定次。

 

1585天正13年からの石垣も

ご覧のとおりしっかりしています^^

高虎の時代には

「城代役所」として活用されていた場所。

 

跡地への入口は

「表門」と「裏門」の2つ。

 

表門から入るためには

通路から直角に3回曲がらねばならず

攻め入られにくい構造になっています。

表門跡↓

津には藤堂家歴代城主が居城し

城代には高虎の三男・高清からはじまる

養子縁組なども含めた藤堂家が

ここで伊賀の国を統治していました。

崇広堂の資料室より↓

一帯は史跡となっており

建物の跡を縁石などで表しています。

庭園もあったのですね。

高虎は

津城や伊賀上野城など

高い石垣と広い内堀とで

平地でも防御性の高い城づくりを確立。

 

同時に

川や寺院を防御の最前線としつつ

街道筋を城下に引き入れ

宿場町の繁栄や商業の発展にも努めました。

 

平地に建てられた城と町とが

一体型となるまちづくりは

高虎考案とは限らないようですが

江戸時代の城下町の主流となり

各地へ広がっていったようです。

 

さて

城代役所を後に北へ降りていくと

「伊賀流忍者博物館」。

 

以前

忍者屋敷や忍者ショーを見学した際

子供だましではなく

大人も楽しめるものだったので

期待して再訪してみると…?

残念!!見たかったのに…

2022年3月現在

土日祝日しか上演されていないもよう。

 

その隣には

茅葺き屋根の門。

一風変わった和風の建物は

「俳聖殿」です。

松尾芭蕉の生誕300年を記念して

1942昭和17年に建てられたもの。

 

伊賀上野城と同じく川崎克氏の功績で

国指定の重要文化財です^^

 

建物の下部平面は八角形

上部平面は円形の木造で

屋根は檜皮葺。

 

外観は芭蕉の旅姿を表したもので

上層の屋根は芭蕉の旅笠

その下が顔

下層の屋根は蓑と衣を着た姿

堂は胴

回廊の柱は杖と脚を表現したもの、とあります。

 

解説を読みつつ

伊賀上野城内に展示されていた旅笠と

松尾芭蕉を想像してみると…

なるほど!旅姿が重なりますね^^

 

堂内には

等身大の芭蕉を

伊賀焼の座像にして安置。

よぉ来たの。

なんて語りかけてきそう^^;

…ということで

上野公園はおしまいです。

 

前回訪問した時は

古いものに価値があるのであって

伊賀上野城は昔からのお城でもないし

見た目がかっこいいだけ…

…と思ったものでした。

 

今回改めて

お城が存在する意義を理解したり

藤堂高虎を知ると言うほど知りませんが^^;

見方が変わりました^^

 

この日は上野公園付近だけで

時間オーバーだったので

城下町は

またの機会に。