道後温泉の湯築城ゆづきじょう一帯から開かれた松山は
長らく河野氏が治めていたところ。
豊臣秀吉の四国征伐ののち
加藤嘉明は正木城(松前城)まさきじょうに居城を命じられます。
やがて迎えた関ケ原の合戦では嘉明は徳川家康に従い
※8つの藩に分かれた伊予の国の松山藩主となるのです。
※松山、大洲、新谷、宇和島、吉田、今治、四条、小松の各藩
現在の松山市中央に位置する標高132mの勝山山頂に
1602慶長7年から松山城の築城を開始。
ようやく五層の天守閣を完成させた嘉明は
25年間治めた松山から会津へ40万石で転封となりました。
変わって松山には蒲生忠知が入り二の丸を完成するも一代限り
1635寛永12年には伊勢桑名藩より松平定行が15万石で入城し
松平松山藩は明治維新まで続いています。
維新後松平氏は松平姓を返上、旧姓の久松を名乗りました。
定行は五層あった松山城の天守を三層へ
さらに小天守を持つ連立式の天守閣に大改築。
理由としては
地盤の弱さへの安全対策や
江戸幕府への配慮といった点があげられています。
その天守閣は落雷で焼失してしまい
現在の天守を含む多くは1854安政元年=黒船来航の翌年
12代・勝義の時のもので
松山城は江戸時代最後の城郭建築として知られています。
江戸時代最後とは現存12天守で最も新しいお城。
しかし築城当時の縄張りはよく残され
桃山様式を取り入れた豪華なお城であったようです。
戦災などで焼失した建物もありますが
1966昭和41年から総木造による復興が進められ
21棟の重要文化財とで全51棟を数え
往時の姿を取り戻しています。
春や昔 十五万石の城下哉 正岡子規
遅めのお昼となった鯛めしやさんを出て
「ロープウェー街」をのんびり歩きながら山麓駅に到着し
15分毎に出ているロープウェイを見送り^^;
同料金で随時運行のリフトに乗りました。往復@520円
今では数少ないシングルリフトでちょっと不安な6分間^^;
山頂駅の長者ヶ平ちょうじゃがなるから10分ほど坂を上ると
本丸で1番高い石垣が見えてきます。
17m超あるそうで、そこから上り坂を曲がったところ↓
櫓が建つ石垣の排水口からは長年の雨だれの跡が付いています^^
西の丸からの「大手登城道」が左手から合流するこの辺りは「大手」。
角は互い違いに積むことで強度を増す「算木積み」。
本丸を囲む石垣は全て10m超えの石垣で囲まれ
南北300m、東西30~180mという広さを持ち
全国有数の規模の郭です。
花崗岩を使用した打込接うちこみはぎで隙間も無く
美しい曲線を描く「扇の勾配」かつ「屏風折」という複雑なもので
折れ目を増やすことで強度が増し死角をなくします。
石垣のほとんどは加藤嘉明の時代のものだそう。
「太鼓櫓」は復興ですが直角になった隅には「石落とし」↓
進行方向から360度方向転換して進むようになっていて
その先には本丸への最初の門「戸無し門」が↓
当初から門は無いそうで
次に現れる「筒井門」へ敵を誘い込むための戦略。
筒井門には右側の石垣を隔てて「隠し門」があり
侵入する敵を背後から攻めます↓
門をくぐってもお約束の桝形と攻撃性のある櫓が立て続けに現れ…
やっと「本丸広場」に侵入できました^^
広場から見る波打つかのような石垣!復元された馬具櫓も。
広場の北に位置する「本壇」と呼ばれるあたりは
8mほどの石垣を築いた上に天守などの重要な建物群↓
入城券買います。@520円
…ということで次回^^
松山城の場所はこちら。