松山城は1602慶長7年正月15日
加藤嘉明によって起工されました。
石材などは
正木(松前)城まさきじょうや湯築城などから運ばれたものも多かったようです。
翌年10月に嘉明は正木から新城下に移り
城下を松山と命名し、城の名前を松山城としました。
城全体の完成は
嘉明が会津40万石に移封となった1627嘉永4年頃。
約26年の歳月をかけて築城されたことになります。
お城は造られた場所の高さによって
山城、平山城、平城などに分けられますが
松山城は平山城という種類。
また別名を金亀城きんきじょうというのは
内堀に金色の亀が棲んでいた伝承によるもの。
1642嘉永19年には松平定行が天守を五層から三層に改築し
余材で子規堂のある正宗寺しょうじゅうじを建立しています。
本丸広場の北、8mの石垣を積んだ本壇は
落雷で焼失したあと復興まで70年近くかかり
落成式が行われたのは1854安政元年のこと。
落成式からの大天守をはじめ重要な建物がまとまっている本壇↓
本壇石垣の隅々にある櫓は渡り塀などでつながっていて
出入口は一ノ門のみ。
二ノ門から先は通路が二方向に分かれるため
侵入者も二分されるのです。
通路は直角に折り曲げた桝形を多用し
内部は中庭のような空間ができていて
侵入者を取り囲むことができます。
強固な防衛の本壇に侵入し^^
見学ルートは大天守地下1階から。
大天守は本壇からさらに4mの石垣を築いて地下としており
3層3階地下1階という構造。
米蔵だったという地下に靴を預けて階段を上がり
さっそく天守内には加藤嘉明着用の変わり兜↓
角頭巾形鳥尾飾兜すみずきんなりとりおかざりかぶと
裏口を意味する搦手からめてを望む↓
鉄砲狭間↓壁も厚みがあって鉄砲の玉を通しません。
石落としもあります↓実際の用途は鉄砲狭間だったかもしれませんが。
発見された侍の似顔絵。
分かりづらいので拡大^^↓
大天守から見る本丸広場↓
二の丸庭園が見えます^^
ミニチュアみたい^^
「VR松山城」見たら酔いそうでした^^;
でも歩くだけでは見られない映像も多くて楽しめます。
本壇の鬼門・北東にあたる艮門うしとらもん(手前)と艮門東続櫓(うしろ)↓
やっとお天気が回復してきて
島が浮かぶ瀬戸内海も見えてきました。
お城の中どこをどう歩いてきたのか謎ですが
米蔵まで戻ったので中庭へ。
中庭を防衛する筋鉄門すじがねもんは
三ノ門から来る敵を正面から射撃できる造り…こっわ
桜も見頃です^^
中庭に出ました。
袋の鼠とはこのことか…
…という感じで大雨で大混雑な城内でした。
リフトから降りたら大雨になって天守に駆け込んだので
前ブログ共に青空での写真は
すべて雨が止んだ帰りに撮ったものです。
そして売店には蛇口からみかんジュース!!!
やっぱり愛媛って蛇口ひねったらみかん出るのね^^都市伝説か思たわ
1杯限り350円で限界まで注ぎましたよ^^
そして帰りもロープウェイを見送ってしまいリフトで…ひぃ
この後は繁華街の三番町まで
地元のかたから教えていただいたお店を探して…
ドライで乾杯♡
かまの塩焼きとか。
宿泊先の1階に移って…
たまにはお洒落な飲み物を頼んでみた^^
食べすぎました^^;