「日本におけるフランス年」とは
フランス政府や民間が
日本でフランスを総合的に紹介した年
1998平成10年から1999平成11年のことでした。
日仏友好の証にと
パリの自由の女神像は海を越えたお台場で
その優美な姿を披露しています。
日本では時が迫るにつれて
女神像の帰国を惜しむ声が高まり
フランス政府公認のもと
レプリカを制作することとなりました。
そして2000平成12年
オリジナル同様にパリで鋳造されたのが
現在お台場に見る自由の女神像です。
女神の身長は11.5m
ニューヨークの女神像の7分の1とのこと。
ちなみにニューヨークの女神像はフランスからの寄贈で
パリの女神像は仏在住の米国人たちによる返礼になります。
さて
背景となっているレインボーブリッジは
映画からアニメまで幅広く登場している東京湾のシンボル。
正式には東京港連絡橋といい
お台場の臨海副都心と都心部を結ぶ目的で
1987昭和62年に着工
1993平成5年に完成しました。
建造に際しては
東京港第一航路にかかるため柱を設置しにくく
羽田空港が近いため高さ制限があるなど
多くの厳しい問題があったようです。
数ある橋の種類から
「吊り橋」というタイプが選ばれたのは
空間性が高いこともあげられるでしょう。
橋は2重構造になっていて
上層は有料の首都高速道路
下層は中央に新交通ゆりかもめ
その両側に無料の一般道
外側が無料の遊歩道となっていて
幅員約29m。
橋の全長798mのうち
中央径間は570mで
航路の規定幅570m以上は確保。
橋の両端には
ケーブルを固定するためのアンカレイジ。
三角のようなコンクリートの塊は
テニスコート12面分の床面積とか。
主塔は高さ126mで
高さ制限150mに対してゆとりがあるように思えますが
工事中の機材を含めてのことで
背の高い機材には気を配ったことでしょう。
橋桁の高さ52mというのは
当時最大の豪華客船・クイーンエリザベス号が
橋の下を通過できる高さに設定したことから。
寄港することなく現在に至り
橋の奥に位置する「晴海客船ターミナル」は
すでに役割を終えています。
客船の大型化が進んだ現在は
手前に「東京国際クルーズターミナル」が完成していて
世界最大級の接岸も対応可能となりました。
また一般道とゆりかもめの芝浦側のアプローチは
海の上でループ橋にして高さを稼いでおり
用地の買収でも苦心したものと思われます。
対してお台場側のアプローチは直線で
なだらかに52mの地点とを結びますね↓
ライトアップの美しさは
開通当時から注目を集めており
白、緑、ピンクと3色使いのイルミネーションは世界初!
イベントごとに様々な表現で楽しませてくれます。
そして主塔を照らす白いライトも
夏(4~10月)は透明感のある白
冬は温かみのある温白色、と
季節によって表情が違うのです^^
さて
お台場側のアプローチの下は
石組みで造られた第三台場で現・台場公園↓
1853嘉永6年いやでござんすペリー来航に備え
日本の海岸線では
異国船を打ち払おうと砲台を築き
名残として今も各地に「台場」という地名。
画像の第三台場は
品川台場(品川砲台)の1つで
当時は江戸前に等間隔で台場の建設が進められました。
第七台場は未完で今も水没したまま
第八から第十一台場は未着工に終わっています。
撤去や埋立地に埋没された台場もあり
現在は第三台場、第六台場が残るのみ。
第三台場は
お台場(東京港埋立13号地)から陸続き。
陣屋跡や火薬庫跡のほか
レプリカながらも砲台跡が置かれて
幕末を偲ぶことができます。
第六台場は
お台場側のアンカレイジの南に位置し↓
孤島のまま保全され
自然豊かなこと間違いないようです。
いずれも国の史跡であり
近年は続日本100名城に選定されています。
お台場って
もっとパヤパヤしたところかと思ってたけど←
歴史も感じられるところなのですね^^
そもそも「お台場」という呼び方も
疑問に思っていました。
建設当時からすでに「御台場」と表記されていたそうで
幕府が所有するものには「御」を付ける
丁寧に、敬称で、という習わしからのようです。
御茶屋とか御狩場など
あらためて振り返ると納得です^^
こちらは「御」の付かない「ダイバーシティ」
とくにファンでもないのですが
有名なのかと思って撮ってみました^^
数年前も同じことしてました^^;
ようやく日の目を見た画像^^;