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高層ビルに囲まれた緑あふれる【皇居】を歩く!【東御苑】で見る江戸時代の遺構

郵便番号100-0001

千代田区千代田1-1

…というのが皇居の住所。

 

こちらを本籍地にしたい、している人も多いという

人気の住所の一つです^^

 

皇居がかつて江戸城の一部であったことも

江戸城があって今の東京があることも

多くの人が知るところ。

 

江戸城は「千代田城」とも呼ばれたお城でした。

 

「千代田」とは肥沃な水田地帯を意味し

その美しい響きを受け継いで

区名も「千代田区」となっています。

 

この地に初めて城が築かれたのは1457年

室町時代の武将・太田道灌によって。

 

海に面して建つ当時の江戸城からは

海浜に続く松原の緑や

霊峰富士を仰いだといいます。

 

やがて江戸城は関東北条氏の支城となるも

豊臣秀吉の小田原征伐(1590年)により北条氏は滅亡。

 

秀吉から北条氏240万石の領地そのまま

治めることを命じられたのは徳川家康。

 

同年8月の1日(八朔)

江戸入りすることとなりました。

 

農民にとって大切な日である八朔を選んだのは

今後の実り多きを祈る縁起から。

 

江戸入城から14年を経て

征夷大将軍の任命を受け

江戸幕府が開かれます。

 

家康は江戸を将軍家にふさわしい地にすべく

全国の大名たちに協力させる天下普請の大工事を開始。

 

日比谷入り江の埋め立てにはじまり

武家の町や町人の町を造成。

 

江戸城の増改築も大掛かりなもので

外堀だけでも西は四谷から東は浅草

北は水道橋から南は虎ノ門に及び

総延長はおよそ16km

現在の千代田区にほぼ匹敵するものだったのです。

 

内掘は7.85km

ほぼ今の皇居の範囲にあたり

千代田区の面積の12%を占めています。

 

かといって堀は円環ではなく

本丸を起点に

「の」の字の螺旋状となっていて

堀を延長していくことで

縄張りも無限に拡大できるというつくり。

 

螺旋式縄張というもので

姫路城を参考にしたともいわれ

国内には2城しか存在しない珍しい濠です。

 

赤線内が千代田区↓

ざっくり江戸城の範囲は多分こんなの↓

外堀と内堀の間を外郭

内堀の内側を内郭といい

外郭は皇居を囲むような街へと変貌を遂げていますが

内郭はほぼ現・皇居

江戸城の中枢となっていたところです。

 

その内郭もさらに区分されていて

本丸、二の丸、三の丸は現在の東御苑

西の丸と吹上には御所と宮殿、宮内庁

北の丸は田安門、清水門が残るほか日本武道館など。

 

環境省より↓

前置きが長くなりましたが^^;

今回は皇居東御苑…

江戸城のほんの一部を訪ねてみました。

 

自然豊かで広々とした庭園では

江戸時代からの遺構と見え隠れする高層ビル

時の流れを感じる景観は

不思議に思う感覚と東京への憧れが

交差したお散歩となりました^^

東御苑への入口は

大手門、北桔橋門きたはねばしもん、平川門があります。

 

今回は参勤交代の大名にならって

江戸城の表門にあたる大手門から。

内堀を渡る細い道を通って…

門も小さくて大手門とは名ばかり?

…なんて思うなかれ。

 

お城はあくまでも防御が大切!

一度に攻め入ることができないように

あえて幅を狭くしています。

 

敵の攻撃を防ぐ最前線となる大手門は

現在は手荷物検査だけで通過できました^^

 

画像に見える正面外側の門を高麗門

高麗門に対して後ろに直角に置かれた門を渡櫓門

合わせて大手門です。

 

高麗門をくぐって

直角に曲がって櫓門とする枡形ですね。

 

桝形から東の高麗門を見る↓

小ささが際立って見えますね?

桝形の北にあたる大きな渡櫓門↓

櫓(矢蔵)というだけに

武器を備えた侍たちが上部や左右に控えていたところ。

 

高麗門から侵入する敵を右折させることで

わざと渋滞を起こさせて

櫓門から狙いを定める!!

 

敵は右の利き腕を晒すことになってしまうのも

防衛する側にとっては有利。

 

西も南も壁ばかり…

1657年製の鯱とありました↑

四方を壁で囲んだ大手門の内側は

枡形という文字通り

そこに侵入している敵の数を

枡のごとく計ることができます。

 

また

大手門の高麗門は

明暦の大火後の1659万治2年に再建され

渡櫓門は戦災で焼失後の昭和41年

東御苑開園に伴い再建されたとのこと。

 

大手門を突破すれば内郭の三の丸です。

 

どこのお城にも「四の丸」が無いのは

「死」を連想させるため。

 

四番目に当たる曲輪には

「西の丸」や「南の丸」など

主に本丸から見た方向を

曲輪の名前とすることもあるようです。

 

ところで

皇居の西の丸は

本丸からは堀で隔てられ

江戸城の中枢とは言い難い場所。

 

しかし現在では

皇居の中でも宮殿などがある重要な非公開エリア。

 

なぜ西の丸に天皇がお住まいに?

と思うのですが

幕末に起きた火災がきっかけのようです。

 

政庁かつ将軍の住まいである本丸が焼失したため

仮の御殿を西の丸に建設。

 

仮の中心部のはずが世は泰平。

 

本丸を荒れたまま放置して

西の丸に中枢をなす御殿を持ってくることは

縄張りの意味を消失した城には関係なかったのでしょう。

 

仮設の場所のまま維新による江戸城の明け渡し

新政府もまた西の丸に宮殿などを新築。

 

中心部となってしまった場所だけは

今も引き継がれているのですね^^