ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

【皇居東御苑】を歩くなら!無料のガイドツアーあります!その内容や調べたことなど

皇居の東御苑では

「菊葉文化協会」による

無料ガイドツアーが開催されています。

www.kikuyou.or.jp

参加希望者は

三の丸尚蔵館前に集合とのことで

マップ頼りに向かいました。

 

事前予約は受け付けておらず

状況次第で中止となる場合もあります。

 

人数も少人数制で

この日は8名だったか

枠に入ることができました。

 

私のあとから来た人は

人数オーバーのため

参加できませんでした。

 

今回は案内人さんのお話と

自分で調べたことを交えて覚え書きです。

 

見学ルートは

②尚蔵館から⑪富士見櫓、⑳天守台

㉙汐見坂を通って池のある庭園で解散

という1時間半のツアーです。

②の集合場所にはじまり

さっそく④三の門跡へ。

 

門前にはかつて

堀があり三の丸と二の丸を分けていました。

 

大手門と同じく2つの門で桝形を成し

桝形内で左折するようになっています。

↑建物は「同心番所」といい

門前にあったものを桝形内へ移築しています。

 

棟飾りには葵紋と

水が渦を巻いた三つ巴で火除けのまじない^^

御三家以外の大名は

同心番所で駕籠を下りる決まりで

「下乗」という札が立てられていました。

 

番所では

大名たちが来るのを待ちながら

他家を含む家臣たちが情報交換。

 

これが「下馬評」の語源になっているとか。

 

三の門の先には圧巻の巨石を使った石垣!

大名たちを威圧するために

惜しみなく使われる石は

主に西日本、瀬戸内から。

 

新宿の「百人町」に名前を残す「⑤百人番所」↓

50mほどもある長い建物には

百人町から登城する100人の同心と

鉄砲百人組なる与力たちが4組20名づつ

昼夜交代で警護に当たっていたところ。

 

日本最大だった城郭は

すべてが大きすぎて写真に納まりません…腕と思われます

 

ここを過ぎると⑥中の門跡。

 

綺麗に切られた石垣は

調査のために解体されたことも↓

道は上り坂となり

途中には⑦大番所↓

ここでは何人たりとも

駕籠から降ろされ

厳重な取り調べを受けるのです。

 

他の番所よりも格上の者が

警護に当たったそう。

続いて

幕末の大火を伝える⑧中雀門の石垣↓

石が焼けただれて

気泡があらわになっているのが分かります。

 

大手門から三の門、中の門、

こちら中雀門と桝形の連続。

 

枡の空間は進むほどに小さくなるという

藤堂高虎の完璧な縄張り^^

 

中雀門を過ぎれば本丸ですが

今は広々とした⑫大芝生に木々があるばかり。

 

皇居の一部であるこちらは

皇室の行事が行われる場所でもあるため

あえて広場にしてあるそう。

 

4年前には大芝生で大嘗祭が行われています。

 

広場から森へ足を踏み入れると

⑪富士見櫓がありました↓

本丸に現存する唯一の櫓は

天守閣が1657明暦3年の大火で焼失した後

天守として代用されていたとのこと。

ここから品川の海や富士山が見えていたなんて。

⑬松の廊下跡や↓

⑭茶畑も↓

摘み取って飲むわけではなく紹介するためだそう。

 

⑯バラ園では皇族方のお印となる植物が見られ

こちらは雅子様のハマナス↓

モッコウバラは眞子さんの。

昭和天皇のお印である若竹にちなんで

世界の珍しい竹もありました。

 

亀の甲羅的な節を見せる亀甲竹など↓

オガタマノキは常陸宮様のお印↓

天岩戸伝説にも登場する木ですよ、と。

 

天照大神が隠れた際

この枝を持って踊った天宇受賣命あめのうずめのみこと

お神楽で巫女さんが持つ神楽鈴は

この枝が元になっているとか。

 

さらに神楽鈴は鈴なりの語源ともいわれます。

 

1円玉の絵柄もオガタマノキ^^

ほか橘など

皇室ゆかりの植物が多く紹介されていました。

 

さて

江戸城天守閣は

家康が建て、秀忠が造り替え

家光も造り替えたのに焼失しました。

 

㉔本丸休憩所に

各天守閣のレプリカありとのことですが

時間の都合で行けず泣

 

4代・家綱が再建を試みるも

家光の異母弟で会津藩祖の保科正之が

戦の無い世に天守は不要、と反対します。

 

無用となった

加賀の前田家による天守台…↓

高さ14mの台に22mほどの天守が

できる計画だったらしいです。

 

時間の都合により

天守台には上れませんでした泣

 

㉘楽部では

楽師が奏でる音色が聞こえますよ、とか

㉒桃華楽堂は

香淳皇后の還暦を祝して建設されました、とか

㉛書陵部は

書と陵墓、墳墓を管理しています、などなど

時間が押してる感じ??

 

再び桝形が現れ

㉙汐見坂は日比谷の入り江を臨む場所でした↓ 

大名たちは

苦労して運んだ石に刻印して証とす^^

㉚白鳥濠↓

石垣は複数回折り曲げて死角を無くす!!

 

汐見坂の上には東照宮があったものの

現在は吹上に移されているらしい。

綺麗に積んでますね^^

 

㊵二の丸雑木林は昭和天皇のご発意で

武蔵野の面影を留めるべく

開発が進む多摩ニュータウンの土を

そのまま運んできたところ。

 

『何が育つかお楽しみ^^』

その結果↓

緑いっぱいの見事な雑木林になってますね^^

 

雑木林から一変して

二の丸庭園は9代・家重時代の庭園を

絵図をもとに復元したもの↓

㉟諏訪の茶屋は明治からの建物で

吹上から移築↓

花しょうぶが見ごろなので

見てってね^^て感じで解散となりました。

再び百人番所へ出て↓

これで東御苑を1周できました^^

 

ガイドツアーは

皇居内の自然や植物についてを中心に

皇室やお城の話もあり

興味深く聞くことができました^^

 

江戸城は

陰陽道や風水術を緻密に計算して

築かれたということにも興味があって

機会があれば次回は単独で

お城の遺構や皇居付近などを

見てみたいなぁと思います^^