ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

東京まであと何キロ?答えは【日本道路元標】まで!お江戸【日本橋】は陸路の中心

大阪の中央区にあるのは「にっぽんばし」

東京の中央区にあるのは「にほんばし」。

 

お江戸日本橋は

見てみたいと思っていた場所の1つです。

 

道路標識で見かける「東京まで〇km」という

「東京」の基準は日本橋で

全ての道は日本橋に続くのだと

勝手に親近感を沸かせていましたから。

 

そしてついに「東京」にたどり着きました^^

ここが日本橋♡

 

東京市の紋章(現・東京都の紋章)を盾にした獅子は

手向山八幡宮の運慶による狛犬などが

参考になっているらしく。

 

石造りでなくブロンズにするだけで

ただ力強い獅子から

優雅な雰囲気漂う獅子になるものですね?

 

橋の上の高架橋は

日本橋の景観を損ねるため

撤去して地下化されることとなった首都高。

 

こうして見ると

撤去は大賛成です^^

 

阿吽の獅子は東京市の守護だそう。

獅子像の頭上にも獅子の顔があったり↑

橋の外側にも獅子がいたり↓

橋(8×4)全体で32頭の獅子がいるらしい。

 

橋の中央には

東京市の繁栄を祈った背中合わせの麒麟像↓

口元からたなびく髭と揃えた前足

躍動感のある炎のような尻尾

尖った羽根を広げて

今にもどこかへ飛んでいくような。

 

空想を現実にした凛々しい姿は

ゲームの世界に登場しそうです^^

 

橋の南北と中央との6基の照明塔には

一里塚にも植えられた榎木と松のデザイン。

 

西洋のガス燈に

中国の獅子や麒麟

和のモチーフを取り入れた和漢洋折衷。

 

装飾を手掛けたのは妻木頼黄つまきよりなか

辰野金吾、片山東熊と共に

明治建築の巨匠と仰がれます。

 

1603慶長8年の江戸幕府の開府当初

日本橋は擬宝珠を配した木造の太鼓橋でした↓

1911明治44年に架けられた石造二連アーチ橋が

現在に残る20代目で

国の重要文化財となっています↓

まだ江戸であったころは

火災も多かったでしょうが

焼けても壊れても造り替える日本橋は

無くてはならない橋でした。

 

南に富士山、西に江戸城

北には上野寛永寺、東に海を臨み

諸国への街道の起点となっていた日本橋。

 

陸路の起点でありながら

水運の起点でもあるという

2つの物流経路が交わることから

一帯は問屋や小売商が軒を連ねました。

 

徳川家康の都市開発によって整備され

全国から多くの商人や職人が集められ

江戸有数の繁華な町だったのです。

 

和紙や刃物、楊枝に至るまで

今も当時から創業する老舗は多く

歴史と伝統が感じられる街でもあります。

 

関東大震災までは

日本橋魚河岸があったことを伝える看板↓

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魚河岸は築地へ移転して市場となり

豊洲市場となりました^^

 

そして

陸路の起点は現代まで引き継がれ

道路元標が中央分離帯に埋め込まれています↓

近くで見たい!という私のような人のために

北西側の橋詰にはレプリカが↓


案内板によると

橋の四隅の銘板に刻まれた「日本橋」「にほんばし」の文字は

最後の将軍・徳川慶喜公

「日本国道路元標」の文字は

内閣総理大臣佐藤栄作によるものとのこと。

 

ほか↓

観光案内所ありました↓

展示内容は日本橋のことなど。

五街道の起点ということが分かります。

この日は雨でしたが

日本橋という橋と

道路元標を見ることと

神田川を遊覧する「神田川クルーズ」に乗るつもりでした。

 

高架橋の真下にある乗船場所↓

クルーズは当日予約を入れようとした時点で

中止と分ったのですが

雨は回復傾向だしもしかして…と

僅かな期待を寄せながら…

 

しかし

雨が止んでも本日は中止です、と

観光案内所のかたに教えていただきました。

 

川の水が増水しているため

橋の下を沢山くぐるクルーズは

橋に当たってしまうので危険なのだそう。

 

そーゆーことか!!

 

増水の確率が高い雨の多い時期でなく

天候が安定した時期が狙い目ですね…しょぼん

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