お江戸日本橋の象徴的存在でもあった
「三井越後屋(呉服店)」は三越と名を変えて。
クラシックな雰囲気の日銀通り
三井本館(左)と日本銀行(右)↓
気の向くままに歩いていると
常盤橋なる橋を渡り…
渋沢栄一像に遭遇!!
なぜここに?と思いきや
一帯は「常盤橋公園」といい
関東大震災によって被災した街の復興に
尽力されたことをたたえる像のようです。
功績などをよむよむ。
イラストマップには
①常磐橋・渋沢栄一像
修復工事を終えた常磐橋が10年ぶりに復元。
一帯は国の史跡に指定されています。
新貨幣に描かれる渋沢栄一の像もお見逃しなく!
…とあります。
どうやら「ときわばし」はここ以外に
由緒ある橋が別にあるらしい。
交通量の多い「常盤橋」から
上流にあたる「常磐橋」をみつけました↓
公園の名にもなっている常磐橋は
東日本大震災でゆがみなどが生じたため
令和3年まで修理をしていたそう。
東京最古の石橋らしく
割れないように縁起を担いで常盤橋を常磐橋とし
車両はこちらの常盤橋に通しているもよう。
ふーん、最古かぁ…と橋だけ撮って去ったのですが
あとから改めて調べてみると
橋のお城側(↑写真左側)には
外郭の出入口となっていた常盤橋門跡があったらしく。
桝形となっていた門の石を
橋に使っていたようなのです。
街の中に突如現れた石垣は
少し違和感を感じただけで
それが門の跡だったのだと今知ることに^^;
イラストマップに門跡のことが書かれておらず←
橋という文字にばかり気を取られて
江戸城の知識が無いばかりに
門跡を見ず惜しいことをしました^^;
さて
江戸城外郭には5つの門があり
街道とを結ぶそれらは
※江戸五口と総称されました。
※常盤橋門(奥州道)、田安門(上州道)、神田橋門(芝崎口)
半蔵門(甲州道)、外桜田門(小田原口、東海道)
浅草、さらに奥州道へと通じる常盤橋門は
内郭の大手門とを結ぶ正門として
将軍家や水戸徳川家も利用する重要な門でした。
虎ノ門や四谷見附などと共に
江戸城三十六見附の1つで
見張り役が常駐していた門だったのです。
1877明治10年に架けられた常磐橋は
中央を人力車や馬車
端を歩道、という歩車分離を
段差と石畳の敷き方で明確に区分しています↓
石造りということとアーチな出入口などは
西洋を意識したものでしょうが
大理石の柱には
灯籠を思わせる笠が乗せてあったり
六角形の親柱の台座は
仏像の台座にも通じそうだし
手すりの柵の模様が唐草になっていたりで
和洋折衷なデザインは明治あるある^^
紀元2537年6月とは
まさに明治10年↓
史跡という石碑だけ撮って
背景の石垣にはピンと来てない残念過ぎる私^^;
常磐橋を渡って振り返ったところ↓
確かに門跡と思われる石垣が写っています^^;
あの向こうに江戸城があったのですね。
そして
下を流れる日本橋川は
今更ながら外堀だったことに気付く
もうお城めぐりやんこれ笑
江戸時代は木造だった常磐橋が
常盤橋門の石垣を利用した石橋に架け替えられ
門跡と橋の一帯が史跡になっていたのでした。
常磐橋の東詰には
江戸時代の金座、日本銀行本店。
正門のすぐ外に
重要機関を置いていたということか。
東京って
ごちゃごちゃした中にも
歴史あるものがひっそり紛れてるから
意識してないと分かりづらいですね?
近くにはこんなものもありました↓
1つだけ残された一石橋の親柱。
一石橋迷子しらせ石標↓
なにげなく通っただけで
こんなにいろいろあるなんて
話題に事欠かない街です^^