日本橋高島屋へ
お出かけしてきました。
お買い物も楽しみだったのですが
建物も見てみたいなぁと思って。
百貨店建築としては初めて
重文指定を受けた高島屋東京店の本館。
周囲の建物の外観とは異なって
全体的に西洋の石造りのような
重圧な雰囲気が目を引きます。
1933昭和8年開業当初から
全館冷暖房完備していたところで
当時のキャッチコピーは
「東京で暑いところ、高島屋を出たところ」。
館内の快適さが伝わるようです^^
建築家・高橋貞太郎が最初に設計し
戦後は村野藤吾という
両者のデザインが融合した
増築の傑作とかで。
建物の前面に対して
右後部全階とその手前上部にかけてが
ちょっと色調が変わっていて
増築の傑作といわれる見どころの1つかと。
ビアガーデンがある屋上では
当初ゾウを飼っていたとかで
話題を集めていたらしい。
近くで見ると細かい意匠にも気づきます。
入口横の壁の窪みは
公衆電話…ではなくて
水飲み場跡ですって!
エントランスがすでに高級な感じで…
信頼ある本物を取り扱ってますよ、と言わんばかり。
お買い物する側も
お上品にしなくちゃ、と思いますわよね←
イタリアから輸入した大理石には
アンモナイトの化石があるとか
2階の曲線状の欄干が戦前は金属製だったことなど
以前なにかで見ました。
渦巻き模様のアンモナイト↑
レトロなエレベーターでは
エレベーターガールも活躍されていました!
天井は御殿などに見られる格子になっていて
格式の高さを表現しています。
照明も天井に合わせてあるのか日本的。
外壁にもあったけど
釘隠しが所々に。
実際に釘が打たれているわけじゃないけど
西洋建築に馴染みやすくするために
日本の要素を取り入れたのでしょうね?
気軽に文化財を見ることができたし
目の保養にもなったし、と満足して
もう一つ気になるところへも行ってみました。
証券取引の街・日本橋兜町に
新しくできたKABUTO ONEカブトワン。
証券マン風のかたたちが出入りする中で
なんだか場違いな私ですが
おじゃましますよっと^^;
この大きなキューブ型のディスプレイの下に
渋沢栄一が大切にしていたという赤い石がありまして…
赤い石とは珍しい、と
ここまで来たのですが
なかなかの大きさ!柴犬より大きいわ笑
ところでホムぺでは
ライブカメラで
ビルの中の様子が確認できるのですね。
パシャパシャ撮影したり
縁起を担いで触ったりする姿を
誰かに見られていたかもと思うと
今更ながらちょっと恥ずかしい…
すでに証券マン風に見られてますが^^;
渋沢栄一ゆかりの赤石
渋沢栄一翁は、明治6年(1873年)に、ここ日本橋兜町に日本で最初の株式会社である第一国立銀行(現みずほ銀行)を設立。
明治11年(1878年)には東京株式取引所(現東京証券取引所)を設立し、日本経済・金融の礎を築きました。
本赤石(佐渡赤石)は、明治21年(1888年)に渋沢栄一翁が兜町邸宅(現日証館所在地)を建てた際に、日本経済の繁栄を祈念した縁起石として当地に設置されました。
その後、渋沢栄一翁は明治41年(1908年)に三田綱町に邸宅(後に大蔵大臣公邸、現三田共用会会議所所在地)を移した際に本赤石もそこに移設するなど本赤石を生涯大切にしていました。本赤石は、昭和24年(1949年)に渋沢栄一の孫である渋沢敬三(元日本銀行総裁、元大蔵大臣)によって渋沢栄一翁が明治の元勲である伊藤博文や桂太郎らとの会談場所として足繁く通った柳橋の料亭「亀清楼」に寄贈されました。
平成29年(2017年)に平和不動産株式会社創立70周年記念事業の一環として、渋沢栄一翁の意志を受け継ぐべく、本赤石を譲り受け我が国資本主義発祥の地である「日本橋兜町」に設置するに至りました。
2021年、兜町の新たなシンボルである「KABUTO ONE」に日本経済のさらなる躍動を祈念して、本赤石が設置されました。
…とありました。
めぐりめぐって元の場所で
保存展示することになったのですね。
翁は手をかざしたりしていたようですが
触れても問題ないとのことで
両手で抱きしめてきました。ライブカメラ…
気の持ちようかもしれませんが
赤石からは見えない力が掴めました^^
さて
デパ地下を物色してみたら
見たことのあるおかきを発見。
「これってY〇SHIKIさんの…?」と
店員さんに聞けば
一時は行列が続き品切れ状態だったとか。
今まで
やっすいチーズおかきしか知らなかった私
もうあの頃には戻れません!
…というと大げさですが
チーズが違う^^国産ひよくもち米までは分からんが
レーズンも意外と合ってておいしかったです^^