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日本の美しき古典の世界!【安宅の関所】と人生の難関を突破する!【安宅住吉神社】

この話を知ったのは

中学校の音楽の授業で。

 

歌舞伎「勧進帳」の映像を見たのです。

 

言葉が理解しにくく

内容がよく分からないものの

先生が補足をしてくれて

生きることの厳しさの中にも

優しさがあるのだと感じました。

 

時は流れて

舞台となった場所が小松市と知り

実際に訪問してみた次第です。

 

それは「安宅の関所跡」。

石川県小松市の安宅住吉神社は

海抜15mの二堂山ふたつどうやまの頂に位置します。

源義経を捕えるために

兄の頼朝が安宅の関所を置いたところで

一帯は石川県の史跡です。

時は1187文治3年の春

頼朝から謀反の疑いをかけられたため

都を追われる身となった義経一行。

 

奥州平泉の藤原氏を頼みの綱に

北陸路をくだることに。

 

身元を隠すため山伏に変装した義経たちが

安宅までやって来たときのこと。

 

弁慶は

自分たちは焼失した東大寺を再建させるため

勧進(寄付金集め)を行っているのだと

関所通行の許可を請う。

 

頼朝の命を受けている富樫左衛門は

すでに義経たちは山伏姿になって逃走中との情報を掴んでいたため

一行を怪しみ関所を通すわけにはいかない、と言う。

 

これに憤慨した弁慶は山伏になりきり

悪行を制する呪文を唱え

疑いを晴らそうとする。

 

ならば勧進帳を読んでみよと命じると

弁慶は持っていた白紙の巻物を

いかにも本物らしく読み上げたのだ。

富樫は

そのあまりの上手さに感心するも

さらに山伏の心得や秘呪など問いただす。

 

弁慶は難なく問いに答えていき

ついに通行を許可することとなった。

 

ところが

関所の守の1人が

山伏の中に義経に似ている人物がいると

義経を呼び止める。

 

弁慶は

お前のせいで疑われているのだと

持っていた金剛杖で義経を打つ。

 

自分は後でどうなってもいい

とにかく今は義経を助けたい一心で

心を鬼にして。

 

それを見た富樫は

敵を欺くためとはいえ

無礼を働いてまで自分の主君を守る漢に心を打たれ

疑いは晴れましたよと一行の通過を許可。

 

関所を通過したあとで弁慶は泣きながら詫び

義経は弁慶をねぎらい

あらたに前へ進んでいくのでした。

 

義経は弁慶の機転と勇気によって救われ

弁慶は富樫の人情に助けられて

上手く収まったという気がします。

 

もっとも上下の関係もあやふやな現代では

自分を犠牲にしてまで人に尽くすことなど

理解が追い付かないかもしれませんが。

 

さて

ゆるやかな参道を登りきると

御本殿があります。

たまたま巫女さんに迎えていただき

昇殿できました。

 

どなたも無料で

10分くらいお話ししていただけるようです。

 

主祭神は

底筒男命そこつつのおのみこと

中筒男命なかつつのおのみこと 

上筒男命うわつつのおのみこと

 

伊弉諾尊いざなぎのみことが黄泉の国から帰り

穢れを落とす禊の際に水中で生まれた神々で

航海の神様として記紀に書かれ

各地の住吉神社で知られる住吉三神です。

 

奈良時代からの歴史を持つ古社であること

陸、海路を旅する人々が安全を祈る社であったこと

安宅の住吉さんと親しまれること

人生における道先案内の神

開運、厄除け、交通安全、縁結びの神

勧進帳で名高い安宅の関所があったことから

日本で唯一の難関突破の霊神であり

遠方からも信仰が篤いことなど

やさしく解説いただきました。

 

航海安全の奉納絵馬は

江戸時代のものも残り

布を張り付けて立体的に描かれたものも

貴重で珍しいものでした。

 

御本殿のうしろから海岸へ降りていくと…

当時の様子が偲ばれる

強力(荷物持ち)に扮した義経を

山伏姿の弁慶が打ち

関所の役人の富樫が見ているという

名場面を再現した像。

 

智仁勇に優れた弁慶さんのかっこよさと

忠義を尽くす弁慶を思いやった富樫とで

なんだか心に沁み入る感じ?

 

義経たちの行く末を思えば

波の音と海風とで

優しくも切ない思いに駆られます。

 

像のある広場は

売店とカフェで休憩できるようになっていて

「勧進帳ものがたり館(有料)」が併設され

より詳しく歌舞伎の勧進帳について学べるようです。

 

受験の難関、人生の難関、商売の難関など

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