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「お前百までわしゃ九十九まで」?【高砂神社】「相生の松」が意味するめでたさとは?

日本の伝統的な結婚式に欠かせない能・謡曲「高砂」

「高砂神社」がその発祥ということで訪ねてみました。

神功皇后が国家鎮護を願い

大己貴命を祀ったのが起源という歴史の古い神社です。

高砂神社が高砂牛頭天王とも呼ばれるのは

平安時代に疫病が流行るも

牛頭天王と同一視される素戔嗚尊と

その妻・奇稲田姫尊を合祀したところ

疫病が止んだため。

 

境内の案内図↓

江戸時代の初期に

池田輝政が神社を移転させ高砂城を建てたらしいのですが

遺構もなく・・・。

続いて姫路城主となった本多忠政が

高砂神社を元の場所へ再建したらしく

あちらこちらで「立葵」を入れた瓦^^

こんなところで本多家を感じることができるとは

ちょっと感激^^

 

2025令和7年で再建400年を迎えるとのことです。

 

こちらが

各地にある「相生の松」の元祖と言うべき「相生の松」↓

ご・・5代目・・???

 

本多忠政が植えた3代目の松は霊松殿にあります↓

松の霊、つまり枯れてしまったということか。

 

見づらい・・・

全体図は撮るのは難しいですが^^;

天然記念物として大切に保護されているんですね。

さて

「高砂」について能では下のように謳われています。

高砂や この浦船に帆をあげて

月もろともに出で潮の

(中略)

はや住之江に着きにけり

この歌詞を聞いただけで

なぜ結婚式に相応しいおめでたい謡なのか分かりませんよね。

 

元になっているのは「古今集(仮名序かなじょ)」にある

「高砂、住之江の松も相生のように覚え…」という一節。

 

播州・高砂の松と摂津・住之江の松は「相生の松」と呼ばれ

離れていても心が通じ合い

共に老いることを心に留めて喜ぶ

松という木を長寿と夫婦の睦まじさに例えているもの。

 

そこから着想を得た室町時代の世阿弥が

能・謡曲「高砂」を完成させたのです。

 

では

世阿弥の「高砂」の概要はというと・・・

 

醍醐天皇(885−930)の御代

阿蘇から京へ向かう神主・友成は

「相生の松」を見るため高砂の浦へ船を寄せた。

 

相生とは相老とも書き、共に長生きをするということと

松は常緑なことから永遠を意味し

1つの根から雄松と雌松が寄り添うように伸びる姿を

伊邪那岐尊と伊弉冉尊になぞらえ

夫婦の道を世に示しているという他にないめでたい神木なのです。

 

夫婦円満、長寿の象徴という高砂の松の木の下で

友成は老夫婦(尉じょうと姥うば)に出会います。

 

老夫婦は友成に

離れていても老いても変わらず続く夫婦愛や

松の木の由緒や縁起の良さを故事を交えて解き

延喜(という元号)の世にも和歌が栄えていることを讃え

自分たちは相生の松の化身である

住之江の相生の松も見においで、と沖へ消えていったのです。

 

友成の一行が高砂から船を出し

住之江へ辿り着くと

住吉明神が現れ神々しい舞で平安の世を喜び讃えた、というもの。

 

ということで自分なりに…

松がおめでたくて歌詞の意味が理解できてよかったです^^

 

解説もありました↓

箒を持つ姥と熊手を持つ尉が描かれた高砂神社会館↓

尉と姥の道具にかけて

「お前百(掃く)まで わしゃ九十九まで(熊手)」という洒落だったとは!!

 

能舞台もありました↓

友成の杖から芽吹いたという槙柏いぶき

不思議なことに根本からご本社に向いています。

気が流れる方向でしょうか^^

全力で向いてますもんね^^

 

高砂神社はこちら↓