ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

学問の神様【湯島天神・湯島天満宮】にちょっと寄り道してみました

目的地に向かう途中

有名な「湯島天神」が近いことを知り寄り道することに。

 

「学問のみち」と名のついた東参道を進むと・・・

現れる「男坂」↓

38段の石段は健脚さんには優しいかも?

すぐわきに「女坂」もあるようですが

これが男坂なら歩くまでもない^^※個人差があります

 

「湯島天神」と名前はよく聞くけど

意外と小ぢんまりしているんですね?

参拝前に表参道も確認^^↓

鳥居の脚は梅の形↓

梅の上の獅子の飾りも珍しく

1667寛文7年から残る鳥居は都指定文化財。

そして瓦には「剣梅鉢」

加賀藩前田家の家紋にもなっています。

 

湯島天神は

458年、雄略天皇の勅命で

天岩戸伝説でおなじみ天乃手力男命をお祀りしたのがはじまりで

そんなに古いのかと、これまた意外。

 

のちに

湯島の里人が見た夢のお告げで菅公が勧請され

太田道灌が再建し

徳川将軍家も代々篤く庇護してきたことから隆盛を極めたゆえ

遠方にも広く知られているのでしょう。

 

落ち着いた雰囲気の境内からは想像できませんが

宮芝居や植木市が開かれ

今の宝くじのような「富突とみつき」が許されていたところで

熱狂する人々であふれかえったらしい。

 

真面目な学問のための神社かと思いきや

意外や意外、江戸有数の盛り場だったとは。

 

社殿は

奥の御本殿と手前の拝殿が幣殿で結ばれる権現造という

神社建築の代表的な姿。

1995平成7

日本古来の「木の文化」を後世に残すべく総檜で造営されており

ここに平成の文化財の誕生です^^

 

お約束の「なで牛」↓

梅の花を愛した菅公といえば丑年生まれ

太宰府から都に戻れないまま丑の日に亡くなり

自分の遺骸を牛に引かせて

その牛が行ったところに葬るよう遺言し

墓所には「安楽寺」を建立。

 

その後

京都で起こる禍が菅公の怨念であるとされたため

天神、天満宮として祀るようになりました。

 

やがて菅公の生前の才能が高く評価され

天満宮は学問の神様と崇められ「太宰府天満宮」へと発展。

 

1万を超える天満宮が全国に存在します。

 

どちらの天満宮も梅の名所が多いですが

湯島天神の梅も都内有数の名所だそう。

 

天満宮で授かる鉛筆は受験生に人気があるのだとか^^

 

湯島天満宮はこちら↓