ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

思っていた以上に豪華すぎ!!ジョサイア・コンドルによる明治の洋館【旧岩崎家庭園】

テーマパークかと見まがう豪華な洋館。

どっしりとした石の袖塀には

主である岩崎家の三階菱が彫刻されています。

こちらは岩崎弥太郎の長男で

三菱3代目・岩崎久彌の本邸だったところ。

 

かつてはこの一帯1万5000坪を所有し

20棟もの建物があったといいます。

 

現在3分の1ほどに保護された地に建つのが

1896明治29年から残る洋館と撞球室どうきゅうしつ、和館・大広間の3棟で

国の重要文化財「旧岩崎邸庭園」として公開されています。400円なり。

外観からすでに細かい装飾!中も期待できます!!

「正面玄関」からおじゃましますよっと。

たたきに敷かれたモザイクタイルは目地が無く↑

「客室」の床もパズルのような寄木↓

樫、欅、紫檀、黒檀、桑と異なる木が使われていています。

 

ジョサイア・コンドルの得意とするサンルームの向こう

山小屋風の撞球室(ビリヤード場)は

洋館と地下道で繋がっていて

食後にビリヤードを楽しんだそう。

角度をつけてあるサンルームの窓が「六華苑」と似ています^^

 

1つ1つのお部屋に暖炉があるのも本格的な洋館の証とか。

3回折れ曲がる凝った階段は支柱がありません↓

手すりや柱などの装飾だけでも日本にないデザインで激しく異国的^^

2階はまた

色合いも柔らかで可愛らしい雰囲気?

「集会室」に入ってすぐに壁が立体的なことに気づく存在感ありありな壁紙↓

「金唐革紙きんからかわし」ですって、手が込んでるのが分かります。

ベランダも隅々まで装飾されてて

シンプルなところが1つも無い^^

2階の4室を見終えて再び1階へ。

 

津田梅子が

岩崎久彌夫妻の子供達に英語を教えていた際

使われていた「洋館学習室」↓

津田梅子は

家庭教師を掛け持ちしたり

学校の講師をしたりして自分の生活を支え

久彌夫妻は多くの経済的支援をしていたもよう。

 

洋館と和館の接続点↓

洋館は純洋風、和館は純和風と区別されているので

和洋折衷でなく和洋併置式の邸宅ですね。

 

和館が完成した当初は

洋館を遥かにしのぐ大きさで建坪が550坪!

岩崎家の人々も普段はこちらで生活していたそうで

洋館は賓客などを招く私的な迎賓館といったところ。

 

和館には冠婚葬祭などにも使われた大広間1棟だけが残されています。

しかも1室じゃなくて1棟とかもう桁が違いすぎ。

 

和館の施工は

財政界の実力者たちの屋敷も多く手がけたという棟梁・大河喜十郎。

踏み石からして大きくて高級そう・・・

 

天井は船の底をイメージした舟廊下。

↑梁も三階菱をイメージ?ちょっと菱ってますよね?

 

次の間と広間に面した天井は

1本の栗の木から作ったもので長さがご自慢の16m!!

釘隠しも菱!

欄間も菱!

襖の引き手も実用と美しさをかねて菱!

収納の引き手もとことん菱。

違棚も2面もあって贅沢な作りです^^

 

組子も菱↓

いやもう

細かいところが凄すぎてその写真ばっかりで

お部屋全体の写真が少ないことに今気づいたわ^^;

和館にはちょっとした売店とお茶席があって

野義真崎彌乃助上勝農場の製品を扱っています。

 

岩崎久彌は

先代から引き継いだ小岩井農場

酪農製品の製造技術を確立し

農場の拡大にも力を注いでいました。

 

和館を出て・・・

洋館の前を通り・・・

なんかもうスケールが違いますわよね・・

ペンキの色合いといい

六華苑もこんな感じであとから造られてますね^^

ということで最後は撞球室です。

当時としては珍しかったスイスの山小屋風で

洋館とは全く異なる様式ですが

共にコンドルの設計です↓

破風の下が鱗のようになっているのも見所の1つ。

コンドルの手がけた鹿鳴館などにもあったという撞球室

当時ビリヤードは紳士のたしなみでした^^

地下道への階段↓

和洋併置式の広大な空間で

貴重な素材が惜しみなく細部まで丁寧に装飾されていて

岩崎家の財力に圧倒されました^^

 

今では入手困難な素材もあるというし

さまざまな技術を再現できる職人さんも少ないのではないかと・・・

現代では再建不可能な貴重な建物だと思います。

 

旧岩崎邸庭園はこちら↓