ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

見た目はお寺!中身は御殿!?常識を覆す個性派・伊達政宗ならではの【瑞巌寺】の内装が意表を突いてきた。

瑞巌寺や松島が見たくて!

おいしい牡蠣が食べたくて!

宮城県の松島町へお邪魔しました^^

 

「瑞巌寺」を観て昼食後くらいには雨が止む予報なので

「五大堂」や「松島めぐり」をして

「観瀾亭」でお抹茶をいただく、という計画^^

 

まずは「瑞巌寺」を振り返ります。

 

比叡山延暦寺3代座主・円仁(慈覚大師)が開創し

奥州藤原氏も保護してきた「延福寺」が起源という瑞巌寺。

 

藤原氏は滅亡し

のちに鎌倉幕府執政・北条時頼が「円福寺」と改めています。

天台宗から臨済宗へ改宗されたのもこのころ。

 

関東十刹といわれるほどに隆盛を極めるも

戦国時代から次第に衰退。

 

伊達政宗が仙台に入ってからは

領民の心の拠り所とすべく社寺が盛んに造営されていき

とくに円福寺の復興には力を注いだようです。

 

縄張りは自ら行い

よみがえりの地である紀州熊野から檜や杉、欅などの材木を取り寄せ

京都や根来より名工130名を招いて復興をすすめたのでした。

 

それほどまでに円福寺にこだわったのは

歴史ある古刹を再興することで

自身がこの地の継承者であること知らしめるためであり

「奥州の高野山」である松島の円福寺を

自らの菩提寺とすることで浄土への往生を願っていた、とか。

 

1608慶長13年に鋳造された梵鐘の銘文には

「山を号して松島と曰い、寺を名づけて瑞巌と曰う」とあるようで

これより寺名を「松島しょうとう青龍山瑞巌円福禅寺」と改めています。

 

60程の末寺を有する領内随一の格式を誇ったものの

明治時代には神仏分離などの影響により荒廃。

 

失われた貴重な文物もあるようですが

明治天皇東北巡幸に応えるべく復興を果たしました。

 

このように栄枯盛衰を見た瑞巌寺は国宝となり

平成の大修理を終えて創建当初の姿が甦っています。

 

まずは門前で茅葺の建物を発見。「水主町かこまちの民家」↓

水主町は瑞巌寺の東側の隣接した一画で、仙台藩主などが松島遊覧をする際の御座船を操った水主衆が集団で住んでいました。水主衆は瑞巌寺造営寺(1605年頃)に地元や和歌山・静岡・愛媛などから雇用されてこの地に住みはじめ、多い時には48軒もの住居が建ち並びました。

住居の様式や建て方は藩に定められており、茅葺、寄棟造の屋根をかけ、表通りに面して出格子と蔀戸しとみどを設け、敷地の出入り口には冠木門などを構え、天井板は貼らないこととされていました。

この住居は昭和51年に最後に残った1棟で、元にあった場所から移築・復元したものです。

 

それにしても一帯は巌窟もあるような岩山

切り開いて寺院が存在するのは

この地でないと、という岩をも砕く強い意志を感じます^^

 

総門からの参道脇には2011平成23年に津波が到達した記録・・・

正面に「中門」左に「御成門」が見えてきました↓

くぐることはできないので中を覗いてみると

これが国宝かと思うほど一般的な簡素な外観の「本堂」ですね^^

左にはお殿様用の「御成玄関」↓

右は本堂へつながる「廊下」↓

宝物館を含む拝観料は700円で「庫裡」からおじゃまします。

詳しくないですが伊達政宗の美意識が反映されているらしい。

寺院の台所でもあるため

大きな屋根の上には煙出しが設けられていて

韋駄天がお祀りされています。

 

足の早い韋駄天は

盗人からお釈迦さまの骨を奪い返した逸話から

盗難避けや火除けの神様と崇められ

お釈迦さまのために馳せ走って食べ物を集めたことが

ご馳走という言葉の成り立ち。

 

庫裡を抜けると全10室から成る国宝の本堂。

 

お寺だけど華やかで随所に手間がかかっていて

伊達家の権威が見て取れます^^

 

中心となるのは「室中(孔雀の間)」で

ご本尊の聖観世音菩薩や歴代仙台城主らがお祀りされているところ。

 

三方を囲む金地の障壁画は狩野左京による「松孔雀図」で

異なる季節を三方に描いて時間を超越した空間を表現していて

縁起の良さや富を表す華やかな孔雀や松など吉兆の兆しが集められ

この世の極楽浄土を表現してあるとかで・・・

 

そのほかのお部屋も金地がふんだんに使われていて

照明のない自然光だけのはずなのにまばゆい!

金から放たれる自然な明るさってあるんですね^^

 

↓「鷹の間」の襖絵は参道の看板にありました^^;

重臣の控えの間らしく伊達武士の勇猛さを表す鷹の絵と

背景には次の葉が出るまで古い葉が落ちない柏(槲)の木で子孫繁栄を象徴。

 

過去に見てきた御殿建築も思い出しつつ

天井の作りや床の高さ、襖や彫刻などに込められた意味

部屋ごとの意匠を比べては納得して

伊達政宗も見たであろう風景を見ていることにも感動^^

 

「宝物館」も撮影禁止のため

撮れたのは本堂の鬼瓦くらい^^;

伊達政宗以前に関する展示が多いように思え

見たいものは時期的に公開されるのかと少し残念でした^^;

 

瑞巌寺ってなんだか強そうな名前で^^

守備の硬いお寺とか重厚な感じとかを想像をしてたけど

「伊達」という言葉の語源となった伊達政宗のお寺だけあって

上方や江戸の上をいく派手さがあって

お寺という概念が崩されて

伊達政宗の人柄の一端を知れたような気がします^^

 

瑞巌寺はこちら↓