松島の海に数々浮かぶ島の一角に
赤い橋と小堂がたたずむさまは風情が感じられ
日本三景の「松島」に なくてはならない存在のようです。
小堂は「五大堂」といって瑞巌寺の飛地にある仏堂のことで
瑞巌寺とは500mほど離れています。
もとは坂上田村麻呂が東北征伐の折
北方の守護であり武神である毘沙門天を祀る堂を建立(807年)したところ。
のちに円仁(慈覚大師)が延福寺(現・瑞巌寺)を開創するにあたり
自ら彫りあげた五大明王像をお祀りしたことから「五大堂」と呼ばれるように。
五大明王堂、とは呼ばなかったんですね^^;
毘沙門天は光を発しながら沖合の小島に飛び去り
小島は「毘沙門島」として今は名だけが残ります。
現在の五大堂は
平安時代からの由緒ある仏堂であるとして
この地を治めることとなった伊達政宗が1604慶長9年に再建したもので
国の重要文化財となっています。
ではいざ五大堂へ^^
ここで気になっていたのが参道の橋!
お堂までは本土から全3本の橋が架かっていますが
2本目と3本目の橋は写真のような「透かし橋」となっているのです!
めっちゃ奇抜!!!無料でこのアトラクションはすごい←
昔は松の丸太だけだったのが江戸時代半ばに現在の姿になったようです。
透かし橋の名の通り海面が透けて見えていて
慎重に歩かねば、と身を正します。
じつはこのような心持ちにさせるのが狙いのようで
橋を渡った参拝者は気を引き締めて五大堂を詣でることができるのですね^^
建物は東北地方に残る最古の桃山建築とのことで
桃山建築とは織豊時代から栄えた桃山文化の一端で
とにかく豪華とか華やかな装飾が特徴らしい、知らんけど^^
ぱっと見が小ぶりで素木の造りなので控えめな印象ですが
細部に目をやると
まず軒まわりの蟇股には方位に合わせて12支の彫刻↓
↑最初の「子」は北なので真裏の中央。
お堂は正方形の平面で3つづつ彫られているので
東面に虎、卯、辰と続き正面右が南南東の「巳」となります↓
その左が真正面で南の「午」
余談ですが「子」と「午」を結ぶ南北が子午線ですね^^
扁額に「五太堂」とあるのは
揮毫した105世・天領性空禅師の筆遊びであるとHPにありました。
軒下の木鼻が口を開けた龍になっていたり
柱の上の組み物とか植物モチーフの手挟とか
たしかに凝っていて桃山建築な感じがします^^?
瓦には
伊達政宗がいくつか使い分けていたという家紋の1つ「九曜紋」↓
仲が良かったという細川忠興に頼んで使わせてもらったという紋は
太陽と8つの星を表し 「勝ち星」に通じるもの。
ご本尊の五大明王は秘仏で開扉は33年ごと
素木のお堂の外観とは対照的に
彩色が施され巧みな技術で仕上げられた宮殿型厨子に収められているらしい・・
仏像も拝みたいところですが”伊達な文化”を表現した厨子も気になります^^
次回のご開帳は2039年とのこと。
400年前の貴重な仏閣を参拝したあとは
海沿いにずらりと並ぶ店舗を見て歩き・・・
江戸時代には旅館などができて松島は名所として賑わっていたそうで
歴史ある町なんですね。
やはり名物は食べないと・・・と見つけたお店。
牡蠣♡
五大堂はこちら↓