同じ飛騨地方の高山市に
名が押され気味ではありますが
飛騨市の市政の中心である「古川町」も
小さいながら城下町でした。
戦国時代
豊臣秀吉の命を受け
金森長近が飛騨を統一し
養子である2代目・可重ありしげは
1589天正17年
古川に増島ますしま城を築いています。
※子の金森宗和は茶道の宗和流の祖
増島城の北西
高山本線と宮川、荒城川との間に
「瀬戸川」の用水があり
水路から西へ
町人が住んだ壱之町、二之町、三之町となります。
古い商家や
造り酒屋などの老舗が並ぶ壱之町が
古川町の観光の中心となっていて
JR飛騨古川駅からは徒歩圏内10分弱です。
駅から歩いてくると現れる
「瀬戸川」と白壁土蔵群。
いきなり綺麗^^
増島城の堀の水から
新田開発のために造られた用水路は
武家と町人の区切りでもあったようです。
昔は野菜なども洗えた綺麗な用水でしたが
高度成長期には汚れてしまい
瀬戸川を再び美しく、と
住民の寄付により1968昭和43年から
鯉が放流されています。
800匹ほどの
色とりどりの鯉が優雅に泳ぐ瀬戸川は
島根県津和野町と並び称され
白壁と和風の町並みによく似合いますね。
※冬の間
鯉は山の池に引っ越します。
瀬戸川は
積もった雪を流す溝になるそう。
路面には
タイルの指標があり
さほど大きな町でもないので
迷うこともないでしょう。
町の中心にある広場には
「古川まつり会館」があります。
毎年4月に行われる「古川祭」は
気多若宮神社の例祭で
ユネスコ無形文化遺産。
さらし姿の男衆が
「起し太鼓」を奉納する前夜祭と
絢爛豪華な9台の屋台行列が
しっとりと町を巡る翌日とで
荒々しさ優雅さを併せ持つお祭です。
古川まつりの屋台は
東(江戸)と西(京都)の文化の融合といわれます。
原型の江戸に
京都のからくりが加わり
飛騨の匠が
繊細な金細工や塗りでアレンジ。
重さ2tものどっしりとした屋台の随所に
職人の技がちりばめられています。
「飛騨古川まつり会館」では
勇壮な起し太鼓を
映像で見ることができたり
土蔵内の環境に近づけた地下では
本物のまつり屋台が見られます。
常時3台展示してあり
年に2回の入れ替えのときは
床が上下するようになっているとのこと。
展示されていないまつり屋台は……
このように
間口が狭い、紋の付いた土蔵が
町に点在していて
土蔵の中で保管されています。
火災が度重なった江戸時代
江戸の左官技術が伝わり
財産などを守るため
土蔵が増えていったそう。
「飛騨古川まつり会館」の先には
「飛騨の匠文化館」が。
柱や梁は
釘を使わず組手と継手で建てたという
古川の木造建築の集大成ともいえる建物。
これといった産物の無い飛騨地方から
大和朝廷に物品でなく
技術を納めてきた飛騨の匠たちは
各地へ出向き
多くの神社仏閣造営に携わり
秀でた技法で名を馳せました。
ここでは
匠たちの大工道具や
複雑な継手や組手が展示され
実際に木組みを体験できたり
建築関係のかたが
各地から学びに来るといいます。
町を歩けば随所で
建築から家具
一刀彫に春慶塗など
匠の技に触れることができます。
町家の軒下の肘木には
「雲」と呼ばれる装飾。
唐草や木の葉など
様々な模様が彫られています。
古川の大工たちが
誇りをもって仕上げたという
それぞれ独自の証で
異なる模様は
169種、355軒。
169人の大工が
355軒の建築を手掛けた
ということになります。※2010年自分調べ
新しい建物も
周囲との調和を考えて建てられるので
美しい町並みは
これからも保たれていくのでしょう。
こちらも飛騨の匠の伝統工芸
「一位の一刀彫」のお店。
粗削りな作風が特徴の一刀彫は
各地にありますが
飛騨では一位(イチイ)の木を使います。
一位は
伊勢神宮のご遷宮や
天皇即位の際の「笏」でも知られ
他の木よりも
木目が美しく質が高いので
「一位」の名を付けられました。
出格子の家並みの一角には
江戸時代半ばにはじまり現在は7代目
240年続く「三嶋和ろうそく店」。
植物性の芯とロウはすすが出にくく
風が吹いても消えにくい。
ロウを塗り重ねてゆくため
切り口は年輪状に仕上がり
見た目も美しい芸術品で
古川のお土産に求めていく人も多いとか。
全ての行程を手作業で行う職人は
全国でも10軒に満たないそう。
名物のみだらし↓(×みたらし ◎みだらし)
飛騨地方のみだらしは
こんがりあっさり
香ばしい醤油味^^甘み、欲しくないですかーー笑
ところで
古川には「三寺まいり」といって
毎年1月15日に
町内の円光寺、真宗寺、本光寺の
3つのお寺を参拝する伝統行事がありまして…
三寺まいりの当日
それぞれのお寺には
手づくりの大きな三嶋の和ろうそく
大通りに高さ2mの雪像ろうそくが並び
瀬戸川沿いに千本ろうそくが灯され
幻想的に彩られた町のようすは
古川の冬の風物詩となっています。
野麦峠を超えて
信州の製糸工場へ
出稼ぎに行っていた娘たちが
着飾って三寺へ詣で
男女の出会いの場となったところから
「嫁を見たての三寺まいり」とうたわれ
多くの縁が結ばれていったそう。
もとは
親鸞聖人を偲ぶ「三寺まいり」であったものの
いつしか縁結びの叶うお参りとなり
今では全国からの観光客で賑わいます。
※三寺ともに浄土真宗なので御朱印はいただけません。
酒林が下げられた造り酒屋は
2軒とも国の登録有形文化財。
「白真弓」の銘柄は蒲かば酒造場
「蓬莱」の渡辺酒造店。
今なお
職人の技が
脈々と受け継がれている
飛騨古川の町でした。
「在郷ざいご料理」
報恩講(法要)のための田舎料理とのことで
町内のいくつかの旅館などで取り扱っています。
鮎の甘露煮や菰豆腐
↑棗の甘煮 おかわりないんですか?^^
白和えとか
お造りとか
たらこ的ななにか笑
ごちそうさまでした^^