文化財
「忠犬ハチ公」像! スクランブル交差点^^ 初・渋谷で嬉しさのあまり撮りました^^; 「MIYASHITA PARK」 宮下公園は近年 複合商業施設として生まれ変わり 建物全体が公園のように気ままに過ごせる施設に。 おすすめされて見に来たけど 過去の宮下公園を…
テーマパークかと見まがう豪華な洋館。 どっしりとした石の袖塀には 主である岩崎家の三階菱が彫刻されています。 こちらは岩崎弥太郎の長男で 三菱3代目・岩崎久彌の本邸だったところ。 かつてはこの一帯1万5000坪を所有し 20棟もの建物があったと…
目的地に向かう途中 有名な「湯島天神」が近いことを知り寄り道することに。 「学問のみち」と名のついた東参道を進むと・・・ 現れる「男坂」↓ 38段の石段は健脚さんには優しいかも? すぐわきに「女坂」もあるようですが これが男坂なら歩くまでもない^…
北陸の古都・金沢を流れる「浅野川」。 「浅野川大橋」が 2000年に国の登録有形文化財になっていたということと 「主計町かずえまち茶屋街」がとても近いことを知り 合わせて立ち寄ってみました。 以前 金沢を訪問した時は 「ひがし茶屋街」まで行ってい…
新門司港からの無料連絡バスの終点は小倉駅なのですが 手前の門司駅で降車して 電車で門司港レトロに立ち寄ってみました。 早朝なら人目を気にせず行動できるかと思って^^ マップを見てさくさく散策^^ 塔が目を引くこちらは「北九州市旧大阪商船」 玄関…
製鉄や造船、繊維業などが集中する関西圏をはじめ 日本の経済成長を支えるべく 自然環境が厳しく人跡未踏の地である黒部川上流に 第四発電所を建設するに至った関西電力。 その一大事業は 秘境の地にダムをつくるための資機材搬入路を開くことからはじまり …
あの日 白壁兵舎史料館だけでなく 新発田城も見に行くと告げていれば タクシーの運転手さんから 助言をいただけたかもしれません。 新発田城は 冬季(12月~3月)閉鎖しているのですから。 そんなことも知らずに白壁兵舎史料館の2階窓から 見たことのな…
お正月3が日だけで 例年200万人以上を集めるという 名古屋市熱田区の熱田神宮。 皇位継承の証として受け継がれてきた 三種の神器のひとつ・草薙剣を御神体としており その格式の高さがうかがえます。 ここに草薙剣が祀られるようになった経緯を 簡単に記…
兼六園の随身坂口を出たあたり 「金澤神社」があります。 出入口の名前は 神門に随身様が祀られていているから。 もちろん一般道からも参拝できます。 藩校の鎮守社として学問の神様である菅原道真をお祀りしているところ。 菅公は前田家の先祖とされ 御骨を…
金沢の尾山神社ライトアップ。 この日は遅かったので 目の前の宿泊地でありながら 尾山神社と金沢城公園は諦め… 翌日に早起きすれば 逆算して自由時間を作れそうです^^ ならば朝から行くしかないでしょう♡ 次の日 ホテルの12階からの景色に歓喜^^ 朝ご…
北陸地方のこれからの季節は どんよりとした灰色の空が続くのでしょう。 長い冬のはじまりです。 冷たい雨の降る中 金沢へお邪魔しました。 さむ… さて。 木造家屋に石畳の景観がつややかなこちらは 1820年に加賀藩の政策で 同業者を集中させた町区分を…
京都鉄道博物館の記事を書こうと 画像を入れて下書き保存して 忘れたまま2022年となりました^^; 展示内容は それほど変わってないと思うので 昨日行ったことにしても分からないくらい?それはない 1200円のチケットを購入して まずは半分屋外とな…
職人たち中心の下町であった銀座では 維新後の大火を教訓に レンガを使った不燃の街づくりが行われました。 明治政府の近代化によるもので ガス燈や街路樹が配された 欧米風の商店街へと整えられたのです。 いっぽうで 急ごしらえの洋館は不具合もあり 払い…
日本橋高島屋へ お出かけしてきました。 お買い物も楽しみだったのですが 建物も見てみたいなぁと思って。 百貨店建築としては初めて 重文指定を受けた高島屋東京店の本館。 周囲の建物の外観とは異なって 全体的に西洋の石造りのような 重圧な雰囲気が目を…
大阪の中央区にあるのは「にっぽんばし」 東京の中央区にあるのは「にほんばし」。 お江戸日本橋は 見てみたいと思っていた場所の1つです。 道路標識で見かける「東京まで〇km」という 「東京」の基準は日本橋で 全ての道は日本橋に続くのだと 勝手に親近…
橿原は日の本の国大和のはじまりの地。 いつかきっと、と思っていました。 前日から橿原入りしていたので早起きをして まだ行ったことのない「橿原神宮」へ。 駅舎は橿原神宮を思わせる大きな平入りの屋根。 畝傍山うねびやま見えてるし こっちの方向で合っ…
パラフィン製の洋ろうそくは馴染みがあるものの 和ろうそくは似て非なるもの。 それはハゼノキから採れる木蝋などを 丁寧に塗り重ねて仕上げ ろうそくの芯までもが植物由来。 地球にやさしいことはもちろん すすが少なく周囲を汚さず、汚れても落としやすく …
小田川と中山川が合流するあたりが中心地となり 流域では和紙や葉たばこ、柿、栗を産し なにより木蝋の産地として栄えてきた内子町。 町の北西には 内子の製蝋業がはじまった幕末から大正期にかけてつくられた 八日市護国の古い町並み。 桝形のある坂道に沿…
四国霊場遍路や金毘羅参りの人々で賑わい 様々な物資の集散地でもあった愛媛県の内子町。 ことに木蝋もくろうと和紙の生産で繁栄した町は 想像しながら昔の様子を読み取る町歩きが人気のようです。 内子座から上芳我かみはが家住宅まで 約900m間を中心に…
江戸から大正時代の家並みが残る 愛媛県喜多郡内子町うちこちょう。 別子銅山跡が土砂崩れのため見学できず おすすめの場所、と松山で教えていただいた町。 最終日に帰路と逆方向とは思うところありましたが 知らない町を見てみたい気持ちが上を行き 松山市…
松山城は1602慶長7年正月15日 加藤嘉明によって起工されました。 石材などは 正木(松前)城まさきじょうや湯築城などから運ばれたものも多かったようです。 翌年10月に嘉明は正木から新城下に移り 城下を松山と命名し、城の名前を松山城としました…
道後温泉の湯築城ゆづきじょう一帯から開かれた松山は 長らく河野氏が治めていたところ。 豊臣秀吉の四国征伐ののち 加藤嘉明は正木城(松前城)まさきじょうに居城を命じられます。 やがて迎えた関ケ原の合戦では嘉明は徳川家康に従い ※8つの藩に分かれた…
松山城二の丸庭園に続いて 駐車場無料の観光スポットを書いています。 松山城の南麓 木子七郎きごしちろう建築による 「愛媛県庁本館」と「萬翠荘ばんすいそう」。 木子家は 代々宮中の修理職棟梁を勤めた家柄で 七郎自身も宮廷建築家として活躍しました。 …
天守閣の見学が長かったので 係のかたから 「熱心に見てくださって」と 声を掛けられました。 楽しかった旨を伝えると ご存知のことでしょうが、と 伊賀上野城のちょっとした知識など お話していただき… 最後は お声がけしてすみませんでした、だなんて こち…
2022令和4年も 元旦から開館しているという やる気まんまんな「文化産業城(伊賀上野城)」。 窓口では 「御城印」も販売されていて こういうの見る度に少し考えるものの 今回も見送り^^;入城料600円なり。 入口正面では藤堂高虎がお出迎え。 お…
伊賀上野城の 「高石垣」を愛でるための案内板から。 …のはずなのに 枝草が邪魔なことを観光協会に伝えたいです^^; 入城する前に 東西の大手門跡を確認したかったのですが↓ こんな立派な「白鳳門」なる門が現れたので もうこれでいいや、と こちらから坂…
「伊賀上野城」を改めて見てみたく お城界隈にも気になるところがあって この日は朝から散策しに来ました。 初めて歩くから遠回りになったけど どうやら最初の目標に到着。 「小田小学校」と掲げているのは… 三重県指定文化財「旧小田おた小学校本館」。 忍…
鳥羽市立「海の博物館」です。 博物館なのに 木造風で瓦葺という和風な建物が複数。 ここだけで小さな集落みたいで 鳥羽の素朴な漁村風景に馴染んでますね^^ 「公共建築百選」の1つだそう。 アプローチを進んだ左が「◆展示A棟」 受付で検温&消毒&800…
芋、たこ、なんきん といえば井原西鶴の頃からの 世の女性が好む食べ物のことで この中の1つを扱っていれば そのお店は潰れない、と どこかで聞いたことがあります。 それが本当かは別として 前ブログで安乗神社へ参拝したのは 「きんこ芋」のお店も気にな…
志摩半島は漁業の盛んな地であり 戦前までは 男性なら漁師 女性なら海女になるのが一般的でした。 危険とは常に隣り合わせの生業は 大漁や加護を願う心も 自然と篤くなるのでしょう。 古来より 漁民たちから信仰を集める社寺や それに伴う神事が多く 生活に…