史跡名勝など
道後温泉の湯築城ゆづきじょう一帯から開かれた松山は 長らく河野氏が治めていたところ。 豊臣秀吉の四国征伐ののち 加藤嘉明は正木城(松前城)まさきじょうに居城を命じられます。 やがて迎えた関ケ原の合戦では嘉明は徳川家康に従い ※8つの藩に分かれた…
夏目漱石が英語教師として 松山中学校で教鞭をとっていたのは1年間。 1895明治28年4月から翌3月までで 翌年度からは熊本へ赴任しています。 松山に来て最初の下宿先は小料理屋「愛松亭」で 6月には上野家の別邸に移り住み そこを自ら「愚陀仏庵」…
翌朝の天候は春の嵐のようで できれば お宿でゆっくり過ごしたい。 しかし無情にも10時には 追い出されてしまうので←言い方 そうもいきません。 屋内型美術館などもありましたが 乗用車で出かけると 地味に悩ましいのが駐車代。 この日は 料金のかからない…
瀬戸内海のほぼ中央 周囲3kmの小さな島、「小島おしま」。 安芸の国と伊予の国にかかる 芸予諸島の一部であり 愛媛県今治市域となります。 日露戦争に備えて 建造された要塞が 崩れながらも残っている 過ぎ去った時を思い起こすような 不思議な世界が広がっ…
天守閣の見学が長かったので 係のかたから 「熱心に見てくださって」と 声を掛けられました。 楽しかった旨を伝えると ご存知のことでしょうが、と 伊賀上野城のちょっとした知識など お話していただき… 最後は お声がけしてすみませんでした、だなんて こち…
2022令和4年も 元旦から開館しているという やる気まんまんな「文化産業城(伊賀上野城)」。 窓口では 「御城印」も販売されていて こういうの見る度に少し考えるものの 今回も見送り^^;入城料600円なり。 入口正面では藤堂高虎がお出迎え。 お…
伊賀上野城の 「高石垣」を愛でるための案内板から。 …のはずなのに 枝草が邪魔なことを 観光協会に伝えたいです^^; 入城する前に 地図左下の「東大手門跡」を 確認したかったのですが↓ こんな立派な「白鳳門」なる門が現れたので もうこれでいいや、と …
伊勢と甲賀の間に位置する伊賀の国は 京、大和と伊勢を往来するための 重要な地でした。 戦災に遭わなかったのが幸いし 名所旧跡が点在する城下町になっています。 ただ 実際に歩いてみると 住宅街に点々と残っているという印象で 景観への配慮はあるものの …
鳥羽市街の港湾を望む高台に 1594文禄3年 鳥羽城が築城されました。 当時の伊勢と志摩との国境に建ち 海上交通の難所を沖合に控え 城主である九鬼嘉隆は 海賊大名の名を 欲しいままにしていたことでしょう。 九鬼氏は 熊野水軍を祖に持つとされ 11代…
あのころ ただ行ってきただけで 多くの見落としや 見直したいところがあるのです^^; 歴史への興味を持つ きっかけとなった場所の1つで できればもう一度行ってみたい そんな思いを馳せる場所「一乗谷朝倉氏遺跡」。 福井市街地から南東約10kmあたり…
「く!草津よいとこ 薬のいで湯」←上毛かるたです。 兵庫県の有馬温泉、岐阜県の下呂温泉とともに 日本3名泉に数えられ 江戸時代に作成された温泉番付では 東の大関に挙げられた名湯です。 「にっぽんの温泉100選」でも 18年連続1位という 不動の地位…
姫路市の北西はずれ 比叡山や鳥取の大山だいせんと共に 天台宗の三大道場に数えられ 「西の比叡山」の異名を持つ 「書写山しょしゃざん圓教寺(円教寺)えんぎょうじ」。 発声しづらい山号と寺号ですが 「書写山の社僧正しゃそうじょう」という言葉が ※外郎…
名勝・天橋立を眼下に臨む「成相寺」。 西国霊場の第28番札所として 信仰を集めるこのお寺は 標高569mの成相山(鼓が岳)の中腹に位置します。 天橋立付近の いくつかの駐車場に車を止めて お土産屋さんの並ぶ通りを歩きながら ケーブルと登山バスで訪…
戦国時代最後の下克上ともいわれる「本能寺の変」 明智光秀が 本能寺に宿泊している織田信長を急襲し 自害に追いやったという あまりにも有名で謎も多いといわれる出来事です。 1582天正10年6月2日のことで 明智光秀は信長からの命を受け 丹波亀山城…
中華でもないのに「中国地方」とは 今の関西あたりが中心であった古代 中央から近国きんごく→中国→遠国おんごくと 区分していた名残のようで。 その北東部に位置する「鳥取県」。 北は日本海に面する「山陰地方」でもあり 東は兵庫県、南に岡山県と広島県、 …
移動もままならないこの頃ですが 3年前の今日のできごと。 新緑が目にまぶしい「向島百花園」です。※2021.3より臨時休業中 150円って安すぎやろ!お手入れできるの? 1804文化元年ごろにできたらしいので 勝手に読んでほしい↓ 園内図の確認。 …
京都府八幡やわた市 標高143mの男山おとこやまにご鎮座する 「石清水いわしみず八幡宮」。 平安時代初めの859年 豊前の国(大分県)宇佐八幡宮から 勧請されたのが起源で 創建以来 京の都の裏鬼門(西南)を守護する神であり 伊勢の神宮に次ぎ国家第…
南は相模湾 背後の三方は山と谷にふさがれ かまど型の平坦な地が開けていることから 竈谷かまどだにと呼ばれ 鎌倉という地名になったという。 2km四方ほどのこの地に 800年ほど昔 鎌倉幕府が開かれ 1つの時代が築かれました。 当時は宗や元との交易も…
知覧町の武家屋敷群のすぐ近くには 戦地に向かう特攻隊員さんたちをお世話したり 遺品や家族への手紙を預かったりしていたという 鳥濱トメさんが取り仕切る「軍の指定食堂・富屋食堂」がありました。 現在はトメさんのお話に基づいて再現した 「ホタル館富屋…
仙厳園の御殿を囲む 1万5000坪という広大な庭園を 隅々まで散策…といきたいところですが 時間の都合上大幅にカットです^^; 19代当主島津光久によって築かれた島津家別邸・仙厳園は 28代斉彬もこよなく愛した場所で 自らは藩主就任当時の時代背景に…
鹿児島港から車で10分。島津家別邸「仙巌園」と 世界文化遺産「尚古集成館」へ。 そもそも島津氏とは 私の暮らす地からは縁遠い地の武将で 加賀藩前田家に次ぐ大藩…という 認識程度でした、恥ずかしながら。近い人でも知らんけどなのでまずは 島津家のことを…
新潟県十日町市に 信濃川の支流・清津川の流れが織りなす 「清津峡」があります。 新潟県、群馬県、長野県の県境となる白砂山から 新潟県側に流れるのが清津川で 十日町市小出から湯沢町八木沢にかけて およそ13kmほど深く狭い谷を刻みます。 清津川の両…
新潟へ行かねばならず 前乗りして「佐渡島」の観光をしてきて 帰宅後しばらくは いいところだったなぁ…今度はゆっくり見に行きたいなぁ…なんて思っていたけど 月日の流れとともに 思い出は色褪せつつあります^^; あまり移動ができないこの頃ですが 佐渡島の…
日本橋からはじまる東海道は 今の名古屋市内・熱田神宮の前の海から 「宮の渡し(七里の渡し)」といって船で海上を七里(約28km)漕げば 三重県の桑名市に入ります。 桑名市は東海道42番目の宿場町であり 桑名城10万石の城下町であったところ。 城主は…
愛媛まで出かけることになり いつもは「鳴門ルート」で四国入りするのですが そう急ぐでもない旅路 「しまなみ海道」を利用することに。 その理由の1つはこれ! 大三島にある「大山祇神社おおやまずみじんじゃ」に参拝すること― 広島の尾道から 瀬戸内に浮…
思わぬ情報を手に入れることができた「浮島の森」の管理人さんに 感謝をしつつ 「浮島の森」から700mという近さの「神倉神社」駐車場に到着。 「神倉神社」は標高120mの神倉山かみくらさんの頂近くにあり 熊野三山の1つ「速玉大社」の飛び地に設けら…
和歌山県新宮市。 ここに 以前から気になっていたものがあって… 今日こそは!と 確認しにやって来ました。 島が浮いている、という「浮島の森」 不思議な響きで 想像力を掻き立てられます。 この日は だらりんと2人「鬼ヶ城」を散策して 2か所目の見学場所。…
かつての銅山に 観光誘致でトロッコを復活させた温泉地があります。 それが 三重県熊野市紀和町の「入鹿温泉」!! 瀞峡や熊野古道、丸山千枚田などの 観光への足掛かりとして便利な温泉です。 瀞峡と世界遺産熊野古道 丸山千枚田 赤木城跡の宿 入鹿温泉ホテ…
識名園を出た私たちと 国際通りで買い物を終えた義父母と 電話でやり取りしながら無事合流。 それから車で30分。 「おきなわワールド」到着ーーーー! 最終日なので 空港に近い観光地なら安心して楽しめます。ここにある沖縄の古民家が見たいと思って。 ゲ…
最終日 朝が遅い義父母と合流するのは お昼前くらいだろうと予想すると そう遠くもいけないので 案内標識で目に付く「識名園」に決定。 すぐ到着!大人400円なり。 駐車場無料だし 通りから見ると寂れてる感で不安ですが あとからあとから団体さんがやっ…