翌朝の天候は春の嵐のようで
できれば
お宿でゆっくり過ごしたい。
しかし無情にも10時には
追い出されてしまうので←言い方
そうもいきません。
屋内型美術館などもありましたが
乗用車で出かけると
地味に悩ましいのが駐車代。
この日は
料金のかからないところを優先して
チェックインの14時まで
無料駐車場のある観光地を
楽しんできました^^
まずは「松山城・二之丸史跡庭園」。
ロープウェイ側の駐車場はどこも有料
なのにこちらは
こんなにお城に近いのに
駐車料金無料という謎^^
あまり知られていないのか
二の丸庭園に
興味がない人がほとんどなのか。
ここを見つけた自分を
褒めてあげたい^^
場所は「松山城」を検索して↓
↑二の丸史跡庭園の
「アクセス・駐車場」で確認です^^
道後温泉から車で10分
駐車場に到着、近!
これから歩く道が
天守までの本来のルートの一部らしく
「大手登城道」とも呼ばれます。
見学受付の窓口まで
坂を上りつつ5回直角に曲がるとは…
さて二の丸の歴史については
パンフレットが簡潔明瞭なので
以下そのまま記しておきます。
松山城は1602慶長7年
松山藩初代藩主・加藤嘉明によって建設が始められ
二の丸を含む城郭全体が完成したのは
二代藩主・蒲生忠知の時代(1627~1634)とされています。
二の丸は
本丸(天守など)を防備するための施設で
南と西側には内堀があり
高い石垣と強固な櫓や門
それらをつなぐ塀によって囲まれ
その内側には
藩主の生活や政務のための二の丸邸がありました。
北側の四足門が公式の門であり
藩主はこの門から黒門口登城道を通って
本丸へ登っていたものと思われます。
明治時代になって一時期
二の丸邸は藩庁・県庁として使われましたが
1872明治5年に火災により焼失し
二の丸邸は270年余りにわたるその歴史の幕を閉じました。
現在の二の丸跡は
史跡庭園として整備され
1993平成5年に開園したところ。
急な坂を上って
多門櫓が見えてきました。
櫓って
矢などの武器を収納する蔵が語源と
最近知りました^^
門の向こうは
左右に分散させるように
T字になっています。
現在は見学入り口が右へ
出口は左からとなっています。@200円なり
中へ進むと
水の張られた枠がたくさん!
石垣と山の上には「松山城」も見えます!
「奥御殿跡流水園」という名の庭園
すっきりきちんとしたお庭もいいですね^^
もともとは
藩主の家族が住んだ奥御殿だったところで
部屋の間取りを
ただの枠だけではなく
水を張って表現するという新しい発想^^
雨なので行かずじまいでしたが
「勝山亭」というお茶室まで登っていくと
二の丸庭園全体が見下ろせるそう。
南にある「林泉庭」では
露出した岩の荒々しい感じと
滝から水が落ちて
流れのある池には優雅に鯉が泳ぎます。
藩主家族の私的な空間だったのでしょう。
庭園内は
奥御殿跡とは二分され
こちらは「表御殿跡柑橘・草花園」。
建物のあった枠には
愛媛の特産である柑橘などが
植えられています。
じゃばらとか温州みかんとか
さすが柑橘王国^^
できれば実のなる時期に
訪問してみたい。
「水琴窟」を発見するも…
非接触でという観点から体験ならず。
「大井戸」の遺構。
東西18m
南北13m
深さ9m
防火用水として備えられたもよう。
井戸の半分が埋められ
その上に建物跡があったところ
発掘調査で露出させてあります。
井戸の底にある
建物の基礎となった木材が分かるように
今も水が湧くものの
展示のため自動排水していると。
井戸の奥には「四足門」という公式の出入口↓
公式の門からほど近い公式の場「大書院跡」。
ここへ招かれた者は
格差を見せつけられるのか…
裏側にはひっそりと「俎石まないたいし」。
世継ぎに恵まれなかった二代藩主が
道行く妊婦を捕えては
腹を裂いていたという…
姫路城の「播州皿屋敷」みたいな
怪談?が残ってるんですね^^;
…と
ここまで歩いてきたら突風が!
傘が折れてしまい
お天気が良ければ
もう少し雰囲気を味わえたのですが
心も折れ退散してきました…
出口にあった「井戸」だけ撮って。
なお
二の丸庭園から徒歩約20分で
天守閣へ行けるのですが
当初から
チェックイン後に
徒歩でロープウェイ乗り場へ向かい
天守閣に登るという予定を続行するため
いったんお城から離れます^^