2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧
内子には「石畳があって…」と初日の松山で聞いていたので てっきり石畳が敷かれてるものと解釈してたんだけど 検索したら「石畳」という地名でした^^; 内子で鯛めしからの復路は 日本一海に近い、近かった「下灘しもなだ駅」に寄りたくて。 そして下灘へ…
パラフィン製の洋ろうそくは馴染みがあるものの 和ろうそくは似て非なるもの。 それはハゼノキから採れる木蝋などを 丁寧に塗り重ねて仕上げ ろうそくの芯までもが植物由来。 地球にやさしいことはもちろん すすが少なく周囲を汚さず、汚れても落としやすく …
小田川と中山川が合流するあたりが中心地となり 流域では和紙や葉たばこ、柿、栗を産し なにより木蝋の産地として栄えてきた内子町。 町の北西には 内子の製蝋業がはじまった幕末から大正期にかけてつくられた 八日市護国の古い町並み。 桝形のある坂道に沿…
四国霊場遍路や金毘羅参りの人々で賑わい 様々な物資の集散地でもあった愛媛県の内子町。 ことに木蝋もくろうと和紙の生産で繁栄した町は 想像しながら昔の様子を読み取る町歩きが人気のようです。 内子座から上芳我かみはが家住宅まで 約900m間を中心に…
江戸から大正時代の家並みが残る 愛媛県喜多郡内子町うちこちょう。 別子銅山跡が土砂崩れのため見学できず おすすめの場所、と松山で教えていただいた町。 最終日に帰路と逆方向とは思うところありましたが 知らない町を見てみたい気持ちが上を行き 松山市…
松山城は1602慶長7年正月15日 加藤嘉明によって起工されました。 石材などは 正木(松前)城まさきじょうや湯築城などから運ばれたものも多かったようです。 翌年10月に嘉明は正木から新城下に移り 城下を松山と命名し、城の名前を松山城としました…
道後温泉の湯築城ゆづきじょう一帯から開かれた松山は 長らく河野氏が治めていたところ。 豊臣秀吉の四国征伐ののち 加藤嘉明は正木城(松前城)まさきじょうに居城を命じられます。 やがて迎えた関ケ原の合戦では嘉明は徳川家康に従い ※8つの藩に分かれた…
14時まであと30分というところでしたが 駐車場も受け入れてくださって無事チェックイン。なんて寛大な^^ こちらにお世話になりました。 www.daiwaroynet.jp 駐車料1泊1000円なら安く抑えられてますよね? そして当初の旅行の計画では 初日に市内…
夏目漱石の本名は夏目金之助といい ペンネームのほうがあまりに有名です。 「漱石枕流そうせきちんりゅう」という故事成語からとったもので 自らをかなりの変わり者、頑固者であると認め 気に入って使っていたようです。 漱石が英語教師として 松山中学校で…
松山城二の丸庭園に続いて 駐車場無料の観光スポットを書いています。 松山城の南麓 木子七郎きごしちろう建築による 「愛媛県庁本館」と「萬翠荘ばんすいそう」。 木子家は 代々宮中の修理職棟梁を勤めた家柄で 七郎自身も宮廷建築家として活躍しました。 …
翌朝の天候は春の嵐のようで できれば お宿でゆっくり過ごしたい。 しかし無情にも10時には 追い出されてしまうので←言い方 そうもいきません。 屋内型美術館などもありましたが 乗用車で出かけると 地味に悩ましいのが駐車代。 この日は 料金のかからない…
瀬戸内海は本当に綺麗! 初日は移動と小島おしまだけで 時間を費やしてしまったけど 長時間の移動もこんな景色なら ドライブしがいがあるというもの。 2泊3日の愛媛県観光は 当初の計画から いろいろと変更を強いられ 初日に道後温泉に宿泊です。 商店街(…