四国霊場遍路や金毘羅参りの人々で賑わい
様々な物資の集散地でもあった愛媛県の内子町。
ことに木蝋もくろうと和紙の生産で繁栄した町は
想像しながら昔の様子を読み取る町歩きが人気のようです。
内子座から上芳我かみはが家住宅まで
約900m間を中心に歩いてきました。
まずは内子座から南へ出た「本町通り」。
小田川へ続く道は桜並木^^
物資を運ぶ川舟の往来が見られ
鬢付け油や軟膏に不可欠な木蝋を産する内子は
和紙や酒造、製糸に木炭などあらゆる産業が栄え
県下有数の町であったと。
産業の移り変わりは町の姿も変えてしまい
今は商店街も落ち着いた雰囲気。
最初に立ち寄った内子ビジターセンターを左に過ぎて
右には「商いと暮らし博物館」が見えてきました。
かつて「佐野薬局」という薬屋だったところで
道具類や人形で当時を再現し
通りに面した店舗部分は無料で公開されています。
今では珍しい座売りで
こちらは薬はもちろん酒類やケチャップ
雑貨など幅広く取り扱っていたもよう。
よく喋る人形だなぁと思いつつ
玄関へ入ると本物の人間がいてビックリ!
「皆さんわりと驚かれるんですよー^^」と係のかた。
博物館だけなら200円ですが
900円の共通券をちぎっていただきました。はーびっくりした^^;
奥行きがあるおうちですね。
佐野さんちでは朝ご飯のお時間^^
手前の丁稚は土間で
家族は畳の敷かれた部屋で食べています。
この日はご飯に大根の味噌汁と漬物という献立で
使用人は麦飯、家族は白米!
このころに白米というのはかなり裕福な家だったとか。
当時の格差を感じます。
炊事場では女中の心のつぶやきがだだ洩れでした。
女中は最後に食事をとるので
先ほどの部屋に1人分置いてありましたっけ、冷めてる…
それを食べて後片付けをして掃除して洗濯して
次の食事の用意をしたり子守をしたりで
多忙な日々にうんざりしているようです。
中庭があって…
お風呂があって…
奥の蔵には在庫を置いたようで
重い薬瓶を手作業で荷台へ運ぶ使用人の姿のほか
内子町の歴史や佐野薬局などを紹介。
ふむふむ。
内子座と本町筋界隈↓
主人と客人が世間話をする横で
階段箪笥を上がっていき…
中庭と蔵が見える部屋から。
江戸時代からの棟の一角は
在庫置き場を兼ねた丁稚の寝室でした。
日々の仕事をこなしながら
こっそり薬種商の受験勉強をして
明るい未来を夢見る青年でした、がんばれ!
再び本通りを進めると歴史を感じる立派な建物が。
鶴の鏝絵と飾り瓦を乗せるのは
県文化財「下芳我家住宅」。
木蝋生産で財を成した本芳我家の分家で
明治の中頃の建築とか。
当初の製蝋から造り酒屋と製糸業に転向し
現在は飲食店となっています。
いったん本町通りをはずれ
「文化交流ヴィラ高橋邸」へ。
2階建ての離れは宿泊棟で右に母屋があります↓
高橋龍太郎氏(1875-1967)。
日本の麦酒業界の繁栄と
通産大臣として経済復興に尽力された氏を育てた場所。
内子町の高橋家は
400年前までさかのぼることができます。
織田信長からの攻撃を逃れ
近江から内子町長田に居を構えた
高橋助右ヱ門尉重久にはじまるとのこと。
以来この地の豪族となり庄屋を務めること代々。
分家となるこちら内子町内子の高橋家は
大洲藩の財政を支え宇和島藩へも出入りがあり
広大な田地を領し大規模な酒造を営んだ旧家でした。
明治8年に内子町で生まれた氏は
教育者として尊敬された高橋吉衡よしひら氏を父に持ち
第三高等学校(京都大学)卒業後
大阪麦酒株式会社に入社。
ビールの本場ドイツに留学後
国産ビールに研究すること明治から昭和まで半世紀。
大日本麦酒では社長に就任
戦後は日独協会会長や日本商工会議所会頭など
日本の経済界を支えてきた人物。
また
プロ野球球団「高橋ユニオンズ」の個人設立や
日本サッカー協会会長を務めるなど
スポーツ界の発展にも大きく貢献しています。
2005年日本サッカー殿堂入り
大阪麦酒会社は
札幌麦酒会社と日本麦酒醸造会社との合併後
大日本麦酒株式会社となります。
大日本麦酒ではビールの完全国産化に成功
東洋最大のビール会社へと成長させ
高橋氏はビール王と呼ばれるまでに。
戦後はGHQによる財閥解体で
サッポロとエビスのブランドを受け継ぐ日本麦酒株式会社と
アサヒのブランドを受け継ぐ朝日麦酒株式会社に分割され
社長を勇退しています。
高橋龍太郎氏は
今のアサヒビールの生みの親といえるでしょう。
ドライでいつもお世話になっております^^
…と勝手に親近感を沸かせていると
四国工場閉鎖のご案内を係のかたがお話しされ
他の閉鎖される工場のこともあり相づちを打つ私。
製造工場が3つも閉鎖だなんて
今までかなり貢献してきたんですけどね?と言えば
私もです!なんて言葉が返ってきて^^
まだまだ消費が足りなかったのだということで
話がまとまりました^^
「止談風月無用者可入」という看板が掲げられていた高橋邸
上記は「ただ無月を談じるなら、用事が無くても屋敷に入りなさい」との意味で
今もその精神は受け継がれ
遠来の客人を迎えるゲストハウス、宿泊施設として
また文化活動施設として活用されています。
用事が無くても屋敷に入り恐縮ですが
ソフトドリンクも注文できます。
高橋邸はこちら。