ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

400年前の姿をよみがえらせた【名古屋城】の【本丸御殿】を見に行く!!あと鹿。

大坂の豊臣方への備えや水害などへの対策として

都市をまるごと移転させた「清須越し」で

徳川家の威信をかけて築城した名古屋城。

 

天下普請により

豊臣秀吉の重臣であった外様大名たち20藩ほどが

築城に携わり1612年に完成を見ました。

※加藤清正、前田利常、黒田長政、細川忠興など

 

金の鯱を頂に

「尾張名古屋は城でもつ」と謳われ

天下に知られた名城は

家康の9男・義直を藩祖に

明治を迎えるまで

尾張徳川家62万石の居城でした。

 

1930昭和5

天守と御殿が完全な形で残るまれな例として

日本の国宝第一号の指定を受け

名古屋空襲がなければ

世界遺産になっていたことと思われます。

 

主要な建物は失われましたが

戦後は外観が原型どおりの天守閣が復元され

石垣や隅櫓などが残る一帯は国の特別史跡に。

中心となる本丸は

南に表門、東が搦め手、北の不明門の3か所

いずれも2重の門で桝形の虎口になっています。

 

北西に大天守閣と小天守閣

北東隅櫓跡

東南隅櫓(重文)

南西隅櫓(重文)とで四隅を固め

それぞれ多門櫓などでつながり

中庭に本丸御殿を置いていました。

 

そして現在

再建された大小の天守閣は

2018年5月6日を最後に閉鎖しています。

 

耐震調査をきっかけに

天守閣は補強工事木造で復興新築

意見がまとまらないようです。

 

天守閣へは入城できないままですが

同年6月8日に完成している本丸御殿を見てみたく

訪ねてみました^^500円なり。

 

大手門前の券売所から

内堀沿いに歩いていたら…

↑左上が大手門で中央右寄りの空堀には

都市伝説かと思っていた鹿が!!!

 

あわてて拡大↓

お城が機能していたころ

お姫様たちの遊び相手として

たくさん飼われていたらしく。

どんどん数が減っていき

現在は最後の代となった母娘のような関係の2頭のみ。

火の鳥の短編ようで^^;

断崖絶壁の穴の下に住む家族の一人が

ある日絶壁を上ることに成功して

未だ見たことのない外の世界に飛び出していく話。生きるのです

大手門から本丸への入口となる表門までは

直線ながらも数分かかり

名古屋城の大きさを実感。

縄張りは藤堂高虎の担当です^^

 

表門は一之門とニノ門で桝形を形成。

一之門は現存していないので

案内板には気を付けたいところ。

ニノ門から直角に2度曲がると

忠実に復元されたという本丸御殿の

車寄(玄関)が見えました↓

1615年から1945年まで存在していた本丸御殿は

尾張藩主の住居であり藩政の中心で

軍事施設である天守とは異なり絢爛豪華。

 

当時最先端の技術が注がれた御殿は

建築や絵画、美術工芸の面などで

近世城郭御殿の最高傑作とたたえられていたのです。

 

戦前行われた実測や江戸時代の記録など

詳細が豊富に残っていたこと

戦時中は襖絵や欄間など美術工芸の類を

取り外して保管してあったため

忠実に復元することができたといいます。

総工費150億円。

 

と、その前に

大天守閣と小天守閣と本丸御殿が1枚に収まるという

撮影スポットへ寄り道^^↓

あらあら、これはこれは。

かっこよいではないか♡

本丸の搦手には

城内最大を誇る鏡石↓

「清正石」と呼ばれ推定10t!

天守台を担当した清正は

搦手でも名を残していました。

 

名古屋城には

清正の銅像が二の丸庭園と三の丸(能楽堂横)の2か所もあり

城主は清正かと勘違いしそうになります^^;

清正はこちらが地元で

天守台の築造には大いに活躍したもよう。

 

さて

本丸御殿へ入城し

車寄(玄関)を内側から^^いらっしゃい

御殿内部は進むにつれて

部屋の格式が上がっていくとのことで

襖や金具、天井など

装飾の違いに気を付けると分かりやすいそう。

 

駕籠を下りてすぐの一之間、二之間は

来客がまず通される建物。

※本丸御殿は全部で13の建物から成り立ちます

 

襖には勇猛な虎の絵。

襖絵のまばゆさに客人たちは驚き

虎の絵に徳川家の権威を重ねたことでしょう。

 

襖絵は将軍家に仕えた狩野派によるもので

部屋の格が上がれば風景画へと変わっていきます。

奥へと続く幅6mの大廊下は

玄関ではシンプルな竿縁天井でしたが

次の棟では格天井となり

木目が縦横になっていて几帳面^^

畳の縁へりは葵紋が織り込まれ

隣り合う縁の葵紋とがつながっていて

細かいところまでこだわってるんですね。

義直の正室・春姫(紀州藩初代・浅野幸長の娘)のため

対面所の次之間の襖絵は和歌山の風景。

 

建具職人さんの技が光る組子細工も

どんどん複雑になっていきます。

釘隠しの形も↓

料理の温め直しや配膳をしたところ↓

畳の縁にも注目^^

ランクアップした天井と釘隠しと組子細工↓

お殿様が近しい人と対面する上段之間は

黒漆と金箔がまばゆい天井でした。

初代・義直は家康が天下を取って初めての子で

たいそう可愛がられたそうで

ここでだんらんしてたかもしれない^^

 

名古屋城を度々訪れた家康は

大坂の陣はここから出陣したとか。

 

翌年の1616年

やり切ったと言わんばかりに亡くなっていますよね。

天井の板絵はまだこれからだそう。

 

釘隠しの最終形↓

「隠し」という言葉に違和感を覚えるほど

存在感強すぎなやつ^^

釘はここですよって、ばれとるやないかーい^^

 

葡萄とリスが描かれているのは

どちらも子孫繁栄の象徴とか。

 

また「武道を律する」という言葉にかけてあるとかで

武家文化ならではですね。

 

将軍のための最上級の格式となる上洛殿は

なんかいろいろすごい。

板絵…

引手にも葵紋↓

 

いちいち豪華^^

 

ここから先にある将軍のための湯殿や

松材の色から名付けられた黒木書院は

見学不可…

復元された本丸御殿は

きらびやかで1つ1つが美術品のようで

御三家の筆頭という家格の重みが伝わるものでした。

匠の技術を受け継ぐ日本って素晴らしい!

これで耐震機能もあるって過去と現代の技術の融合か。

 

ちなみに現存するお城の御殿建築は

本丸御殿は高知城と川越城

二の丸御殿は二条城と掛川城の各2か所のみ。

 

最後は天守閣を眺めて…

天守台は先述した清正流三日月石垣。

優美さ漂う弧を描いた綺麗な石垣です^^

 

小天守の石垣も清正公↓

本丸を出て天守の西には

「剣塀」を見ることができます。

屋根瓦の下に並んでるのが剣かな?

ほーん?

尖ってないんですね?誰か教えて^^;

それにしても

入城できないのはもったいないですね…

外観は5層でも

内部は地下1階、地上7階の大天守。

 

地階にある井戸は水質が悪かったため

清正が底一面に黄金の大判を敷き詰めて

水の濁りを止めたと伝わります。

 

東南隅櫓(本丸辰巳櫓)↓

大手門で見つけた刻印↓