ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

藤堂高虎の変わり兜を伝える【伊賀上野城】は復興者・川崎氏の郷土愛に溢れていました

2022令和4年も

元旦から開館しているという

やる気まんまんな「文化産業城(伊賀上野城)」。

 

窓口では

「御城印」も販売されていて

こういうの見る度に少し考えるものの

今回も見送り^^;入城料600円なり。

 

入口正面では藤堂高虎がお出迎え。

お邪魔しま――――す♪

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↑背後のうさ耳兜!

これ見たかったんだよね^^

 

本物はこちら↓

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県指定文化財

「黒漆塗くろうるしぬり唐冠形兜とうかんなりかぶと

 

唐冠とは字の如く中国の冠を模したもの

形兜なりかぶとは変わり兜のことで

戦国時代も中末期になると

戦術はもとより

奇抜さを競う兜が流行しています。

 

こちらもまた

変わり兜の例の1つで

まだ豊臣秀吉に仕えていたであろう時

拝領したと伝わるもの。

 

高虎は

身長190cmの大柄。

 

他の人より頭1つ分高いので

被って頭を動かしても

周囲の人が危ない思いをすることも無く

シュッと決まっていたのでしょうね^^

 

しかし

こちらの兜は高虎でなく

重臣の藤堂良重が大坂夏の陣で着用し

討ち死にしたとあります。

 

兜のデザインで注目&高虎本人だと

勘違いされたのかもしれません。

 

なんだか良重お気の毒です…

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そして個人的に新発見

藤堂家の津藩は

全国271藩中12位の大藩だった!と↓

そんなに?知らんかった…

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ちなみに検索してみると…?

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文久3年は西暦1863年なので

慶応年間1865~1868年とほぼ同じ

外様で!

中央付近に居城できて!

32万石で!と

けっこういいポジションです^^

 

高禄だけで僻地に飛ばされたので

意味がないですからね^^

 

高虎の歩みも

分かりやすく紹介されていました。

 

黒に白抜きの丸(白餅)が3つの旗指物は

若いころ無銭飲食した茶屋へ

城持ち大名」となってから

恩返ししたのが由来とか…

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秀吉の聚楽第において

家康の屋敷に警備上の不備が分かり

自費で設計変更して

家康から感謝されたこと…

 

生涯に築城したお城は

赤木城、宇和島城、伊予大洲城、

今治城、津城などなど…

 

また

江戸城などの縄張りや

二条城、大阪城など修築したものまで

分かっているだけでも

20ほどのお城に携わっているとか…

 

他の武将と比べて数が多いのは

「築城の名手」たるゆえんです。

 

お城以外では

日光東照宮、上野寛永寺なども手掛けており

出身が近江の国・甲良というのも納得。

※甲良大工という一流の大工集団の集落

 

家康の今際では外様でただ一人

枕元へ呼ばれ

宗派の違いであの世で会うのは難しいと

残念がる家康に対し

即座に隣室に控えていた天海を頼り

日蓮宗から天台宗へ改宗

来世でも家康に仕える旨を伝えています。

 

これを受けて家康は

3人共に祀ることと言い残し

日光東照宮の奥社には

東照大権現を中央に

左に高虎、右に天海が祀られているなど…

 

こちらに書かれていないエピソードも

調べればたくさん出てきて

いろいろと知るにつれ

もうすっかり高虎様、素敵―――――♡

 

なんて…

心の中でうっとりしていると…?

 

くせ者!!!

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むむむ…ここにもか!

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さすが忍びの里

一寸たりとも油断はできません^^

 

漆喰の壁と木の柱は

コンクリートの天守と違って

お城本来の姿を見るような気がします。

天井は高いし階段もあまり急ではないですが。

 

さて2階は

特別展として「藩主藤堂家の遺品展」。

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調度品の家紋アピールがすごい^^

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大坂の陣で使用!

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現在の天守閣のミニチュア↓

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高虎の天守台は

五層の天守閣の土台だったので

現在の三層の天守を乗せると

余白がありますよね。

 

こんなところに渋沢栄一。

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川崎氏を応援しに来た感じ^^

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名張出身の江戸川乱歩も

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藤堂家とつながってたなんて。

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松尾芭蕉の旅笠など愛用品も。

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3階に上がって

窓から大阪方面を望む。

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高虎の天守が残っていたら

木津川が見えた、かもしれない?

 

天井には

竣工を祝う文化人から贈られた言葉や画が

飾られていました。

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伝統的で格式高い折り上げ格天井の

格子のひとつひとつに。

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格子の角材に釘は使わないので

より正確に組まないとだめなやつです。

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いやいや!

格子も凄いけど

素晴らしい人脈をお持ちだったんですね

この地を大切に思う気持ちが伝わります…

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↓河合玉堂とか…

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↑徳川って絶対あの徳川でしょ…

 

↓横山大観も…

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鈴鹿の歌人・佐々木信綱って

この時代なのか…

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これは地域の方々も誇らしいでしょう。

 

ひと通り見終えて

大天守を出て窓口前を通り

反対側の「小天守」へ。

 

入りづらい雰囲気ですが大丈夫!

窓口を振り切って行くのです^^

 

中には「忍び井戸」がありました↓

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「大阪城の攻略が不首尾に終わったときは上野城に籠城する」という秘令を徳川家康からうけた藤堂高虎は、当時城郭構築の隋一とうたわれた西島八兵衛尉之友を奉行として城郭の縄張りをはじめた。

八兵衛尉は三カ年間の籠城に耐えるためには最後の守備陣である天守に兵糧と水、塩とを無盡むじんに確保することであると判断して小天守内に井戸を穿うがった。

丘の上に構築した城郭での悩みは水脈の断絶である。浅井戸では水が湧かないので五十間の深井戸を掘り、井戸側から横へ三カ所の隧道を穿って抜け穴とした。

抜け穴は城を中心に四方に通じ、その長さ一里におよび、兵糧の搬入、外部との連絡、援軍を城内に引き入れる路でもあった。落城した場合も、この通路を利用して忍びの者をはなち城内を撹乱して奪取することも考えて設計された。

とくに秘密を保持するため抜け穴の出口と小天守に忍びの者を常駐させ、井戸の監視にあたらせ、藩士といえども井戸をのぞくことを許されなかった。

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覆いは新しいですが

井戸は当時のままなのでしょう

かなり深そうです。

 

抜け穴があるなんて

考えるとわくわくしますね^^

 

長くなったので

お城の外の様子は次回^^