職人たち中心の下町であった銀座では
維新後の大火を教訓に
レンガを使った不燃の街づくりが行われました。
明治政府の近代化によるもので
ガス燈や街路樹が配された
欧米風の商店街へと整えられたのです。
いっぽうで
急ごしらえの洋館は不具合もあり
払い下げなどの条件も厳しいことから
元の住人の多くは銀座を去ることに。
変わって
他の地域で成功した者が
新たに銀座へ出店することとなりました。
例えば真珠王・御木本幸吉も^^
横浜とを鉄道で結ぶ新橋停車場や
築地の居留地を控えた銀座は
舶来の品や高価なものを取り扱うには
絶好の場所だったと言えるでしょう。
輸送の便利さに加え
レンガの洋館は耐荷重が高いことから
印刷機を置く新聞社が次々と進出し
ジャーナリストや文化人が集う
言論の発信地となるのです。
ミキモト銀座本店の並びには
1874明治7年
木村安兵衛の考案したあんぱんにはじまる
木村家総本家もあります^^
みんなパンすきだなぁ…←私か^^;
つい買っちゃったけど↓
うん、
きめ細かな生地は芳醇な香りで
こしあんと相まって程よい甘さ♪
イーストではない独自の酒種で
ゆっくり発酵させた生地は
当時からの製法だそう。
はいからさんで賑わったであろう
レンガ造りの商店街は
1923大正12年の関東大震災で崩壊。
復興する過程でデパートなどが進出し
今日見る全国有数の繁華街へと変化していくのでした。
こちらも当初は新聞社だったらしく
社屋を買い取って服部時計店としたところ↓
のちにセイコーと名を変えて
日本が誇る世界的な時計メーカーへ成長を遂げ
その小売部門としてできたのが
高級な宝飾品などを専門に取り扱う和光
…ということで
次こそは正装して出直しますね笑
銀座のシンボルともいえる和光の時計塔は
現在2代目で1932昭和7年からのもの。
渡辺仁による設計で
正面の角は緩やかな弧を描き
外壁は震災等への考慮から
硬質かつ風化しにくい御影石で
永遠不変を感じさせます。
繊細な透かしの入った窓などが
よりいっそう優美さを際立たせて女性的でもあり
好みの外観です♡
品格と歴史ある建物は
2009平成21年
近代化産業遺産に認定されています。
さらに
こちらも1904明治37年創業という
文人や画伯などを常連客としていた
カフェーパウリスタ。
パウリスタとはサンパウロの、の意で
日本移民の汗の結晶である
ブラジルのコーヒーを普及すべく
開店した喫茶店。
店内パンフによると
星のなかに女王の姿
それを囲んで珈琲樹の緑葉と真紅な実
サンパウロ市の市章を模した
というロゴになっています。
ところで
「銀ブラ」「銀ぶら」とは
銀座を歩いて買い物などを楽しむ
…という行為を表した言葉で
日常で使うかどうかはさておき。
その語源については異論もあるようですが
銀座でブラジル珈琲を飲むことから、
つまりカフェーパウリスタから生まれた言葉
…という説を楽しみたくお邪魔してきました。
酸味が特徴の森のコーヒーと
ケーキを注文。
珈琲の選択ミスったけどまぁおいしいですね!
もちょっとマイルドなのがよかったかも。
当時は1杯5銭で提供され(今の1000円前後※自分調べ)
カップやスプーンのデザインは復元してあるそう。
大日本麦酒だいにっぽんびーるの本社ビルだった
銀座ライオンビル。
最古のビアホールは現役ですが
この日は外観のみ!
いつかの楽しみにとっておきます^^
美味しく飲めそうな雰囲気ですね^^
その他いろいろ見て歩きました。
海外ブランドなど一流なお店が並ぶ中で
近年は大衆のお店が進出するなど
銀座も以前とは変わりつつあるようで
いいような残念なような…100円ショップとか
そしてまたある日は
雑多な雰囲気を味わってみたく
アメ横へお邪魔しました。
迷路のような狭い路地を歩き
居酒屋さんが集まる一帯では
それぞれのお店が
テラス席、なんてお洒落じゃなく
屋外にまで丸椅子やテーブルを並べて…
お店とお店の間を
すり抜けていく歩行者と
気にせず飲食する人とが入り乱れて
なかなか衝撃的^^;
空きのありそうなお店に入ったら
衝撃の屋外へ案内されました。
すぐそばを歩行者が行き交うような席で
そわそわのきょろきょろですが
瓶のドライがあれば大丈夫^^?
店員さんも
必要な時はちゃんと気付いてくれます。
これはこれで楽しいところでした。
あれ見たい!ここ行きたい!と
東京物見遊山の欲求は尽きませんが
また、機会があれば^^