山梨県富士吉田市です。
富士急行線「富士山駅」からこんにちは^^
ストレートな駅名からも
富士山観光の玄関口であることが分かります^^
駅前の観光案内所で
こんなご案内を見つけました^^
「富士山信仰を学ぶ2時間コース」を参考に
散策してきましたよ。
ちなみに
富士吉田の地図は南北が逆になっています。
街の南側にある富士山が上なのですね^^
まずは
駅から東へ3分ほどで
鎌倉往還(鎌倉街道)と
御師町おしまち通りが交わる地点に建つ
「金鳥居かなどりい」です。
以前から来てみたいと思っていたところで
富士山と鳥居が綺麗に見えて
ここだけでも
足を延ばした甲斐がありました甲斐の国だけに^^;
家並みとの位置関係で
撮影するには
少々角度を選ばねばなりませんがね。
金鳥居は富士吉田のシンボルで
神社のための鳥居ではなく
富士山という神様の山の鳥居です。
山頂へ続く吉田口登山道の一の鳥居で
俗界との結界の門であり
信仰登山の人々を迎え入れています。
そして金鳥居から
「北口本宮冨士浅間せんげん神社」までが
上吉田御師宿坊の町並み。
まず御師とは
各地にある特定の社寺に所属し
その社寺へ参詣する者を案内するほか
参拝や宿泊のお世話も請け負う御祈祷師のこと。
ここでの御師は
富士山信仰の指導者的存在です。
古来より
自然を神ととらえて崇拝してきた日本では
崇高な富士山の姿にも神を見て
祭祀を執り行ってきたところ。
平安時代以降は
仏教の伝来や修験道の影響を受け
禁足地であった富士山に入り修行をすることで
超自然的な力が得られる、という
信仰登山、登拝へと変化を遂げました。
庶民にまで富士山信仰が広まると
各方面から登拝への道筋が整えられ
山麓には宿坊が設けられていきました。
上吉田の御師町も
※雪代ゆきしろで移転、拡張しているものの
室町時代からの歴史があります。
※春先の融雪、多雨による大規模な雪崩
関東からの利用が多く
甲州街道・大月宿から吉田(北口)へ至り
御師の家に宿泊し
北口本宮冨士浅間神社へ参拝
そのあと富士登拝と決まっていました。
江戸から吉田までは3日~
吉田と富士山頂は往復2日
合計8日間~要したといいます。
上吉田の町は
江戸時代末から明治初期にかけて
富士山に登拝する人…富士道者で大いに賑わい
御師たちは浅間神社の神職を務めながら
富士山の信仰を支えてきたのです。
御師町通りでは
提灯を吊り下げた家が目に付きます。
富士山信仰を支えた御師宿坊の名残で
営業?の可否に関わらず
伝統的景観を守ってくださるおかげで
雰囲気に浸ることができますね^^
画像は無いですが
通りに面した門柱も特徴の1つです。
ゆるやかな上り坂を進めると
「旧外川家住宅」駐車場内に
「御師町お休み処」を発見。
中には
約120年前の御師町のジオラマがありました。
信仰や旅費の積み立てなどを目的とした
「富士講」という講(グループ)も
各地で結成されました。
ささっと見てから
「旧外川家住宅」100円なり。
江戸時代には
金鳥居から富士山に向かう道の両側に
86あった御師宿坊も
ほとんどなくなり
外川家も公開のみです。
富士山の世界文化遺産の
構成資産でもある旧外川家は
1768年に建てられた市内最古の建物で
富士山信仰や御師の暮らしぶりなどを
当時のまま伝える貴重なところ。
御師住宅は
間口が狭く奥行きがあり
神社の参道と同じようにアプローチが長いのです。
奥へ行くほど神聖な場とされているためで
移転の際に綿密な町割りと屋敷割が行われました。
敷地内を流れる「ヤーナ川」↓
小さな滝が造られ
宿泊する富士講が到着や出発の際
水垢離をする禊の場でした。
細長い敷地な上に斜面に建てられているので
下流の御師の家にも
ヤーナ川を設けることができますね^^
ここでの食事はどんなものかなーって↓
運ぶのも大変そうなお弁当箱…
夜は飲み放題ですって。
先達さんをはじめ
富士講の人々の白装束とか↓
富士山の神を祀る神殿を設けた「御神前」というお部屋↓
神様との取り次ぎをする御師は
その時々の状況によって
祈祷やお祓い、占いなどをおこない
お札を刷って授与するのも仕事でした。
登山ルートは興味があればどうぞ↓
昔の金鳥居!富士山がよく見えます^^
なんと路面電車が走っていたのですね!
さて
その山容の美しさから
日本一の名山と称えられてきた富士山。
しかし一方では
繰り返される噴火を鎮めるため
次々と麓に浅間神社を建て
浅間大神あさまのおおかみを祀り
祈りを捧げてきました。
現在
火山の意味を持つ浅間神社は
各地に1300社を数えるとのことで
噴火の多さ、信仰の高さがうかがえます。
御師町通りの終点は
北口本宮冨士浅間神社です。
行ってないのでパンフからの画像です^^;
こちらも富士山の構成資産の1つで
吉田口登山道の起点にあたります。
噴火を鎮めるためでなく
日本武尊が甲斐の国へ向かう途中
「富士はこの地から拝すべきだ」と
大鳥居を建てたのが起源とのことで
1900年以上の歴史になります。
古くから多くの登拝者が
拝殿で参拝したあと
富士山頂を目指していきました。
富士講や御師とのゆかり深い神社です。
主祭神の木花開耶姫命は
富士山の女神であり
火除け、安産に霊験あらたか。
天孫・瓊瓊杵尊の妻となり
火中で3柱の皇子を出産した
という神話で知られます。
神武天皇の曾祖父かつ海幸彦と山幸彦の父で
姫の夫である火彦ひこほの瓊瓊杵尊と
姫の父で山の神・大山祇命も祀られ
夫婦円満、家族円満に導かれるとか。
江戸中期から残る
重文の手水舎や神楽殿、随神門など
見どころ多そうです…が。
じつは…
神社へ参らず吉田のうどん食べてました^^;
ということで次回へつづきます。
拝観料と引き換えに渡されました^^↓