2004平成16年10月1日まで
富士山山頂において有人観測所として
台風の早期探知、天気予報や災害防止に
その威力を発揮した富士山レーダー。
現在は「道の駅富士吉田」内に移設
「富士山レーダードーム館(610円)」となって
構想からの歴史と役割を紹介しています。
富士山頂にレーダーを設置することは
気象関係者にとって長年の悲願で
1964昭和39年に完成しています。
史上例のない
標高3776ⅿという高地での
大規模な工事は困難を極めましたが
陳べ9000人が関わった
富士山レーダーの運用までを
実際の資料や映像などで学べます。
キーワードは
情熱と克服と使命感です?^^
富士山での気象観測のはじまりは
1895明治28年8月30日
6坪ほどの測候用の小屋を建てた
野中到のなかいたる、千代子夫妻から。
日本の気象観測発展のため
厳冬の富士山頂に挑んだ夫婦の愛の物語を
新田次郎が「芙蓉の人」で著しています。
富士山の別称を「芙蓉峰」といい
千代子の残した「芙蓉日記」が
元になっている小説なのですね^^
気象庁の職員でもあった
新田次郎のコーナーもあり
愛用したカメラやピッケルといった道具類
生原稿なども興味深いです。
こちらはドーム完成までの道のりのコーナー↓
気象観測は
同じ場所で継続していくことが重要で
データが多いほど
より正確な予報となるため
データの蓄積と分析がすべてでした。
野中夫妻の90日に及ぶ
マイナス20度の富士山頂での
気象観測の意義が認められ
事業は中央気象台(現・気象庁)に
引き継つがれるのです。
1964昭和39年9月10日には
富士山レーダードームが完成し
以来、35年間
日本の空を休みなく観測。
今では富士山の気象から様々な予測ができ
関東地方の天気とも
連動しやすいことが分かっているそう。
富士山頂に私財を投じて
気象観測所を建設した野中夫妻の功績と
その熱意を忘れないために
毎年8月30日は
富士山測候所記念日となっています。
2階には
レーダードームがあったころの
富士山頂のジオラマが↓
観測に関わる人々は
滞在する山頂まで歩いて行くらしく
ヘリコプターでよくない?
…なんて安易に考えていたド素人です。
気象に左右されやすく
空気の薄い場所での離着陸は
技術的に難しいうえ
ヘリポートも無い…^^;
そして山頂では
お水がやはり大切!!
水道が無いため
融雪タンクに雪を入れ
雪を溶かして水をつくる!ということを知り
観測員の方々の苦労が偲ばれました。
身体からも水分が抜けるため
常に水分補給をしないといけないらしく
寒いから喉も渇かないんでしょ?なんて
知識のない自分は山で生活できませんね^^;
3階では
実際に使われていた機器類など↓
蜂の巣をイメージしたという
正多面体のドームの裏側を見上げる↓
無駄のない機能性と
力学的に堅牢であるため
正多面体が採用されました。
ガラスの向こうで見づらいですが
レーダーが動いています。
1分間に2回転するそう。
そしてなにやら小部屋がありますが↓
これはもしや???
富士山頂を体感できるコーナー!!
やっほい挑戦だ^^
…と意気込んでみたものの
これでもかという強風と冷気に耐えられず脱出。
2分も入っていなかった^^;
野中夫妻凄すぎ!!
ほか
疑似台風の観測や
全問正解で「気象観測員認定書」がもらえたり、と
気象について楽しみながら学べます。
日常では知りえない
富士山頂での仕事と生活と
初めて間近に見たレーダードーム。
日々目にしていた天気予報に
感謝の気持ちを再確認。
そして
明治という時代は国威発揚が盛んで
野中到・千代子もまたその先駆け。
海外から遅れをとっていた日本の気象予報は
大きく前進することになりました。
なお2004年のレーダー撤去後の跡地は
「富士山特別地域気象観測所」となっており
自動気象観測装置で観測を行っています。
富士吉田市らしい素敵なマンホールというか^^