ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

ついに完成!利根川水系【八ッ場ダムやんばだむ】直下から巨大な壁を見上げてきました!

建設構想から

住民の生活保障などの問題による反対運動

さらに事業締結からの中止発表

そして継続、完成と

様々な話題で注目を集めていた「八ッ場ダム」。

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利根川の支流・吾妻川の中流域である

群馬県長野原町河原湯に

2020令和2年4月1日より運用開始。

 

下流の藤岡市などをはじめ

東京、千葉、埼玉、茨城県の水道水として

また

群馬県、千葉県の工業用水として利用されています。

 

その前年に事業を完了しており

試験湛水を終えた秋

令和元年東日本台風の影響で

水位が満水近く急上昇。

 

治水力の評価も賛否されたのは

記憶に新しいところ。

 

ダム建設には

いろいろとデリケートな話題もあるので

「なるほど!やんば資料館(無料)」の解説のまま

以下に記載しておきます。

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八ッ場ダム建設のきっかけとなったのは

戦後直後1947昭和22年のカスリーン台風です。

 

この台風では利根川上流でたくさんの雨が降って

戦後最大といわれる被害を引き起こしました。

 

堤防はあちこちで壊れ

30万件以上の家屋が水浸しになり

亡くなった人は1100人に上りました。

 

この大水害を受け1949昭和24年に

「利根川改修改訂計画」が決定され

この中に八ッ場ダムも位置付けられました。

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1952昭和27年に

八ッ場ダムの調査が始まりました。

 

しかし、八ッ場ダムの計画は

すぐには進みませんでした。

 

その理由の1つは地元の人々の反対です。

 

ダムの建設が予定された

長野原町及び吾妻町(現・東吾妻町)には

関東の耶馬渓と称される吾妻渓谷や

幾世代にも渡る人々の

汗と努力で築かれた山里の穏やかな暮らしがありました。

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いっぽう東京は

しばしば渇水の危機に見舞われており

中でも

東京オリンピックを目前に控えた1964昭和39年夏の渇水は

危機的状況でした。

 

当時は日夜

自衛隊、警視庁、米軍等の応援給水が行われ

「東京砂漠」などと呼ばれました。

 

ダム建設の実施計画調査が開始されると

地元住民は

事前の説明や相談が無かったと反発。

 

先祖の土地・家屋・仕事・

地域の絆も生活の基盤もすべてが水に沈み

故郷を失う悲しみや水没後の生活の不安も

心に重くのしかかりました。

 

水没予定地には

当時年間10万人の観光客が訪れていた

川原湯温泉もあります。

 

そのすべてが水没することは

計り知れない衝撃でした。

 

八ッ場ダム建設予定地は

国指定名勝「吾妻峡」。

 

「耶馬渓しのぐ吾妻峡」として

「上毛かるた」でも歌われている有名な場所です。

 

建設予定地は当初

地形・地質上最も有利な場所として

吾妻峡のほぼ中央部が検討されていましたが

文化庁と協議を重ねた結果

文化財保護の観点から

約600ⅿ上流に位置を変更しました。

 

これにより

吾妻峡の約4分の3は

現状のまま保全されます。

 

また

厳しい地形上の問題から

地元の人々の移転地探しははかどらず

生活再建計画は

困難な状況がしばらくの間続きました。

 

そのような中

1980昭和55年に群馬県が

長野原町に対し「生活再建案」を

吾妻町(現・東吾妻町)に「振興対策案」を

提示しました。

 

これを機に地元の人々の中からも

行き詰った現状を打開しようという声が上がり

新しい町づくり

ダム開発を地域の振興に役立てる道を

求める討議が始まりました。

 

1992平成4年に長野原町と

1995平成7年に吾妻町(現・東吾妻町)と

「八ッ場ダム建設事業に係る基本協定」が

締結されました。

 

この協定は

長野原町長、吾妻町長、群馬県知事、

建設省関東地方建設局長(現・国土交通省関東地方整備局長)が

相互の信頼と協力のもとに

円滑な事業の実施が図られるよう締結されました。

 

生活再建事業が進められてきた2009平成21年9月

当時の国土交通大臣により

八ッ場ダムについて

中止の方針が発表されました。

 

2010平成22

当時の国土交通大臣から

ダム事業の検証に係る検討を行うように指示があり

様々な検証が行われました。

 

検証結果から

事業の必要性や効果が確認され

2011平成23年に

八ッ場ダムを「事業継続」とするとの

対応方針が決定されました。

 

…といった解説があり

冒頭に記したように2020年ついに完成。

 

70年の紆余曲折を経て

長野原町はこのように変化しました↓

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「なるほど!やんば資料館」の2階では

八ッ場ダムの役割など…

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原寸大の洪水吐き↓

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貯めた水を流したり止めたりする

ダムの1番大切な部分だそう。

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資料館から展望台に出られます。

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ダム湖を眺む憩いの場のようです。

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さて

堰堤を歩いてみます。

 

堤長290.8ⅿとありました。

 

貯水槽のほうは…

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満水近くあるようです。

 

湖水に架かる八ッ場大橋の左が

川原湯温泉のあるあたり。

 

反対側を覗くと…

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うわぁぁぁー!たっか!!

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堤高116ⅿを階段で降りられる、のか??

というか階段しかないのか???

 

…と思いきや

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エレベーターの出入口発見^^

 

利用案内も何も無く

勝手に降りても良いのか考えましたが

何も書いていないのはオッケーな証拠、ととらえ^^

 

途中階では止まれないエレベーターで

一気に地下まで降りると通路に直通。

 

見学客には気を使わないようで

電気もほとんど設けていない

薄暗く長い通路。

 

光を目指して歩き振り返ると…?

 

ばばん!

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でっか!!

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下流側はまだ工事してますね。

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八ッ場ダム発電所だと思うのですが…?

 

赤い橋も気になります。

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堰堤直下が見られるだけ?

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パンフレットを見て納得しました^^

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くろよんダムみたいな観光放水的な?←

橋の下流側↓

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なんにもないか^^;

 

ダム好きさんの

マニアックな観光地?ですね^^

 

周辺には

先述の川原湯温泉や吾妻峡

廃線跡を走れるレールバイクなど。

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地図はこちら↓