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赤レンガ駅舎【東京駅丸の内口】と東京駅の歴史を3000文字分調べてみた

1872明治5

新橋横浜間に日本で初めて鉄道が開業しました。

 

そのころ

現在の東京駅がある千代田区丸の内は

荒れ地であったといいます。

 

江戸時代

江戸城の城郭内を意味する「丸の内」は

大名屋敷が建ち並んでいたところでしたが

明治維新を迎え大名たちは国もとへ帰り

廃墟が広がるばかりだったところを

新政府に召し上げられ

陸軍関連はじめ裁判所や警視庁などの

政府関連の用地に活用されることとなりました。

 

さらに丸の内は新政府の財源確保のため

三菱財閥の2代目・岩崎弥之助に売却され

何もない荒野は三菱ヶ原と呼ばれるのです。

 

お国のために無理やり買わされた土地で弥之助は

「竹でも植えて寅でも飼えばいいさ」と

言ってのけたそう。

 

その後

三菱財閥の「三菱一号館」の建設を皮切りに

四号館まで建設されてゆき

ロンドンのビルに似た

レンガ造りの建物だけが並ぶ荒野は「一丁倫敦ロンドン」と呼ばれ

丸の内のオフィス街としての歴史がはじまります。

 

1908明治41

もはや日本国の中心となった丸の内には

中心となる鉄道を、と

新橋横浜間開通から遅れること26年

「中央停車場」の鉄道を新設をするのです。

 

日本の鉄道の中心たる駅は

全国の人によく分かる名前にするべき、として

名前を「東京駅」に決定。

 

赤煉瓦の「東京駅丸の内駅舎」は

当時の建築技術の粋を集めたもので

6年半の工事期間を経て1914大正3年に完成しました。

 

さらに東京駅から皇居の間には

丸ビル、東京海上ビル、郵船ビルなどが建ち並び

丸の内は「一丁ニューヨーク」と形容されるまでに。

 

「東京駅」の設計は

日本における西洋建築のパイオニアと仰がれる

辰野金吾(と葛西萬治)によるもので

1923大正12年の関東大震災にも耐え抜きます。

 

地上3階地下1階建ての赤煉瓦に

白い花崗岩の帯をあしらったデザインは辰野式と呼ばれ

全長334,5mの広大なもので

中央には皇族専用のエントランスを置き

両翼に銅板葺きのドームを配する壮麗な外観。

 

近代日本が進むべき新しい姿を象徴する

記念碑的な建築となりました。

 

日露戦争に勝利した文明国・日本にふさわしいものをと

建設予算が増額されたという背景もあります。

 

東京駅の開業によって

首都の鉄道網は一気に拡張されることに。

 

東京駅は皇居の正面に位置する首都の中心として

ご皇室や海外の要人を出迎えるときの

玄関口としての役割を担うのです。

 

やがて東京はニューヨークに次ぐ

世界第2位の都市にまで成長。

 

ところが1945昭和20

米軍の空襲によって

ドーム屋根と3階部分などを焼失してしまうのです。

 

2年後の復旧工事では

ドームの代わりに八角屋根を仮設

3階建てを2階建てに改修と

あくまでシンプルにとどまりました。

 

そのまま60年以上の時が流れてしまい

元の姿を知らない現代の私たちには

八角屋根は馴染みのあるものになっていました。

 

1964昭和39

東海道新幹線が開業し

世界に先駆けて時速200km台での営業運転が実現。

 

以降

東京駅は在来線の乗り入れなども強化され

1987昭和62

国有鉄道の分割・民営化によるJRの誕生を経て

東北、上越新幹線が東京駅に乗り入れ

続いて山形、秋田、長野新幹線が開業するなど

東京駅はすべての鉄道の起点となるのです。

 

鉄道網の発展とともに

駅舎を高層ビルに建て替える案が

高度成長期やバブルの時代に出されるも

煉瓦造りの駅舎の古き良き歴史と

八角屋根もまた戦争を物語るものであるとして

赤レンガ駅舎の保存運動がおこり

2003平成15年には国の重要文化財になりました。

 

2007年からは

建築当初の姿に復原する工事が着工。

 

中央口の屋根はクラシックな装飾が取り付けられ

南北の八角屋根は銅葺きのドームへ

2階建てを3階建てに戻すなど大掛かりなもので

2012年ついに保存・復原工事、免震工事を終えて

およそ100年前の姿が蘇りました。

 

当初より

皇居と向き合い皇族の利用を意識した設計であり

丸の内駅前広場から行幸通りに繋がる空間までもが

首都東京の玄関口にふさわしい仕上がりで

一帯は電柱や目立った看板もなく

洗練された街を形作っています。

 

さらに

2014平成26年12月20日には

東京駅開業100周年を迎えたことも記憶に新しいところ。

 

 

…と東京駅について

だらだらと述べましたが

先日東京駅を利用し興味を持ったので調べてみました。

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コロナ禍で

新幹線も指定席の意味がなかったし笑

東京に着いても人が少ないように感じましたが

雨が降っていたので駅から外には出ず

いつ撮ったのか分からない画像です^^;

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屋根は銅板葺きで

時間とともに緑がかった色合いに変化していくので

それもまた味わい深いでしょうね。

 

外壁の赤煉瓦を近くで見てみると

2階と3階の境目は色が異なるのが分かります。

 

屋根材のスレートは

ほとんどがイタリア産の新しいものですが

一部は復原前からの産地である宮城県のものを再利用と

新たに宮城県産のもので賄っているのは

東北の復興への希望が込められているとのこと。

 

ちなみに

3階部分はすべて「東京ステーションホテル(のスイートルーム)」となっていて

国内外の賓客を迎えてきた名門ホテルは

川端康成や松本清張、江戸川乱歩ら文人も多く滞在したとか。

 

さて

到着前に東京駅トリビアをささっと見の筆者

ドームの内装が見どころということで

丸の内南口へ出て見上げてみました。

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装飾落下防止のためのネットが張られてスッキリ見えませんが

豪華な内装というのが分かります。

 

ドームを支える銀色の柱頭には

ラテン文字で「AD MMXll」と刻まれ

「2012年」建築年代を表すとかで。なんかかっこいーーーー♡

 

ただ

きちんと調べてみると

南口には戦災で焼け残った装飾が

一部使われているということと

2階の通路を歩くことができるので

南口を見下ろしたりドームもより近く見られるそう。

 

同じく2階・老舗とらやが運営する

「TORAYA TOKYO」なる和菓子のカフェでは

客席から南口が見られると。

 

北口は

3階がホテル宿泊者専用ですが

2階は宿泊者以外も上ることができるらしい。

いつかのために覚え書きです^^;

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ドームは

車輪がモチーフという円の外側に

クレマチスの花があしらわれて

花言葉は「旅人の喜び」。

 

車輪から8方向に梁が伸びて

梁の先に稲穂を持ち左を向く鷲は2m越え

日露戦争で勝利した日本から

世界に羽ばたくという意味が込められているとか。↓カメラ欲しいなぁ…スマホじゃだめだ💧

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八角形を支えるアーチの中央の装飾は

豊臣秀吉の兜がモチーフだというし

アーチ下の白い柱2本には鏡と剣が浮き彫りに。

 

秀吉に関しては

下級武士の家計であった辰野の郷里・唐津藩が秀吉に仕え

朝鮮出兵の際の後ろ盾となっていたらしく

明治新政府は徳川に滅ぼされた秀吉に親和性があってのことでは?と

後の人々が推測しているらしい。

 

吉兆の意味合いをもつ鳳凰とか↓

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方位を表す干支が

八角形というそれぞれの方位になぞらえて

丑、寅、辰、巳、未、申、戌、亥のレリーフ。↓これは丑

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子(北)、卯(東)、午(南)、酉(西)は

辰野金吾が設計した佐賀県の武雄温泉で発見されているとのこと。

 

西洋をモデルに建築された東京駅は

和テイストを取り入れた内装で

辰野金吾の遊び心が感じられるものなのでした。

 

東京駅って深い!

 

画像があまりにお見苦しいので

参考になるページを貼っておきます^^;

www.kajima.co.jp