新潟県新発田市にある「白壁兵舎広報史料館」は
自衛隊の活動状況などに
国民の理解が得られるよう発信しているところ。
史料館では主に
この地がかつて新発田城であったこと
兵舎が置かれ国軍の拠点の1つとなり
こちらから戦地に出兵していったようすや遺品
現在の新発田駐屯地のことなどが紹介されています。
ちなみに自衛隊の広報館は
収益を目的としていない無料の施設で
陸上自衛隊では
- 白壁兵舎(新発田市)
- りっくんランド(朝霞市)
- 乃木館(善通寺市)
…と全国に3か所しかありません。
白壁兵舎は1874明治7年
陸軍 東京鎮台 第8番大隊 分屯営の兵舎として建てられました。
150年近く残る日本最古の木造兵舎で
白漆喰の外壁から白壁兵舎と呼ばれます。
幕末より外交関係のあるフランスの兵制を導入したため
兵舎もフランスにならっています。
しかし日本の棟梁が建てたため
洋風建築の中に日本の城郭建築の技術が見られるという
和洋折衷な仕上がり^^
明治政府により取り壊された
新発田城の廃材で造られたことも
新発田の歴史を語るものとして貴重です。
こうしたことから
広く市民や観光客に開放できるようにと
駐屯地の東にあった兵舎を南へ移築し
「新発田城址公園」に隣接させ
可能な限りの材木を使用して史料館とし
2014平成26年に開館しました。
館内の案内図です↓
最初は2階の「新発田城時代コーナー」で
窓から三階櫓と新発田駐屯地が一望できます!!
これを見たくて雪中行軍?してきたのだが…
全体的に白過ぎて…
めりはりに欠けるよね…^^;
お城については次回
公園から撮ったもので別記事にしますね。
さて1884明治17年
仙台鎮台 第16歩兵連隊の営舎だった頃の鬼瓦↓
陸軍のシンボルマークが
星に変更されていったために
取り外されて残っていたのでしょうか。知らんけど
実際の白壁兵舎の鬼瓦↓
また
天井は板が無く屋根の骨組みは三角で
頂点が外れない限り崩れないフランスのトラス式。
その下の梁は継手にしてつなぎ
柱との間には船形の肘木で梁の重さを支える和様です。
表には雁木を設け歩行を確保↓
雪国ならではですね^^
上げ下げ窓も
当時まだ珍しかったことでしょう。
話を戻して
新発田の歩兵第16連隊は
激戦地には必ず参戦していたという部隊だったらしく
下の画像は日露戦争の際
軍旗に巨弾が貫通し
旗が燃えて縁の房だけが残ったという当時のもの↓
お堀で発見された陸軍マーク入りの瓦など↓
儀仗に欠かせない指揮刀↓
儀仗隊のファンシードリルは
もっと再生されるべき^^
山本五十六元帥は長岡の生まれ。
柔剣道の初代会長は新発田のかたでした↓
やっぱりフランスの要素入ってる!
大東亜戦争は
太平洋戦争という名前で学び
大人になって歴史認識のずれというものを知る。
日本が初めて外国と戦うことになった
日清戦争から終戦までの展示は
日本の独立を守るため
新発田や新潟という目線での戦争を
一部ですが知ることができました。
1階に降りると
初めて見たスキー仕様の戦闘服など。
↑右奥の濃緑色の制服が
この春から紫紺になりますね^^
こちらは3種類ある陸自の被服↓
作業服と迷彩服と戦闘服…
使い分けは分かりません^^
そして新発田駐屯地としての活動が紹介されています。
第30普通科連隊で第12旅団
部隊の詳細は存じませんが
いつもありがとうございます♡
勇者の証、レンジャー徽章など↓
あの災害はいつだったか
あらためて時の流れのはやさに驚きます。
被災地に寄りそう復興支援。
銃の分解組み立ては隊員の基本。
床下のつくりとか↓
再利用だからか継手が多いような…?
撮影にもたくさん協力されているようです。
映画「八甲田山」は
駐屯地の隊員さんも100名
エキストラとして参加されたそう。
シアタールームでは…
ハイタッチに気軽に応じてくださったことが
懐かしく思い出されます泣
個人的には
有料にして防衛費にしてほしいくらい
見応えのある内容でした。
最後は自衛隊グッズが手に入る売店^^
西田さんと呼ばれるマネキンは
冬なので白に偽装してますが
下は戦闘服で名札が縫い付けられているそう^^
こちらで販売される帽子や手袋などは
隊員さんたちが使用するものと同じ素材で
かなり丈夫に仕上げてあるため
ミリオタよりも
アウトドア派の方々に需要が高いそう。
収益の一部は
殉職隊員の御家族の支援に使われております。
とのことで
記念になにか探したものの
迷彩柄は日常で身に着けないため
消え物のお菓子を買いました^^;
なのでこうして写真に残しておきます!
白壁兵舎広報史料館の場所はこちら↓