馬越峠まごせとうげが5,2km
便石山びんしやまの往復が4,8km
7時間弱かけて約10km歩いた私。
実際に体験してみて
馬越峠だけなら
初心者コースと言えると思います。しんどいけど。
馬越峠から行く便石山や
今回断念した天狗倉山てんぐらさんは
超初心者には厳しいコースで
体力というより
やる気と時間があれば
踏破できそうです。
私でも歩けた登れたという達成感に包まれながら
タクシーで尾鷲市から道の駅海山へ戻り
もう1か所寄り道したいところがありまして。
紀北町内のあちこちで見る
「種まき権兵衛の里」という案内板。
ほのぼのとした名前が
気になりませんか?
気になりますよね?
じゃ行ってみよっか♡
脚もつらいし
お腹もすいてるけど
車で5分で到着。
「種まき権兵衛の里」は
1989平成元年に
ふるさと創生事業によって開園した
三重県最大の日本庭園とのことで
紀北町海山区に生まれた権兵衛をたたえ
その遺徳をしのび続けるとともに
自然に親しむ場であるとのこと。
種まき権兵衛という人を
簡単に記してみると…
武士の家に生まれながら
父の望みで農家となるも
慣れないクワでの作業や
まいた種をカラスについばまれても
カラスのことを思えば叱ることもできず
村人たちからは
どうしようもない優しい人だと
半ば呆れられていたようです。
しかし
くじけることなく
村一番の農家となった権兵衛は
合間を見ては野山で狩猟をこなし
腕前は近郊ではよく知られたほどで
紀州藩主が巡視の際も
的に3発3命中させ
殿様の目を楽しませたのでした。
褒美の代わりに
年貢をなくしてほしいと願い出て
村人からは深く感謝されることになります。
ところで
馬越峠には大蛇が出て
人々を怖がらせておりました。
退治に出た権兵衛は
大蛇を撃つもなかなか致命傷にならず
ついには懐から投げた御守の「ズンベラ石」が
大蛇の額に当たり絶命させることができました。
しかし
大蛇の毒を浴びていた権兵衛は
体中が腫れあがり
1736元文元年帰らぬ人となり
宝泉時に眠ります。
権兵衛の身を犠牲にした優しさと勇気は
今もこの地で語り継がれ称えられているのです。
無料の園内には
「権兵衛屋敷」という
資料館とお茶室のある建物。
猟銃やズンベラ石が置いてあるらしいのですが
今の状況下では、と閉鎖されていました残念。
時計台には
カラスと畑仕事の権兵衛さん♡
地元の石を使用した
築山林泉回遊式の日本庭園では
ごんべえ桜やツツジ、モミジなど
90種の樹木が四季折々に彩られます。
お花見や
広場でサッカーをする子供たちの姿がありました。
こんな立派なお庭と広場が無料なんて
権兵衛さんも優しいけど
紀北町も優しい^^
出口から道を挟んだ正面には
さっきまで挑戦していた便石山(599m)がよく見えます。
空気が澄んでいれば
山頂から左へ稜線をたどったところに
象の背の岩が見られるとのこと。
さらに稜線をたどると馬越峠(340m)。
山の尾根を伝って往復して、と
改めて見てみると
よく登れたなぁって
ちょっと自信が湧きます^^
なお
権兵衛の里から北東には
「権兵衛屋敷跡」と
権兵衛さんが眠る宝泉寺があるもよう。
ということで
ここでも食べ物にはありつけず^^;
帰路の紀北パーキングエリアで
16時「キホクニヤ丼1180円」いただきました。
お昼兼夜ご飯で
1食浮いた、と喜ぶことにします。
おしまい