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岐阜も西国?【西国三十三霊場】ここが満願!【谷汲山華厳寺】巡礼せずとも楽しめる「戒壇めぐり」

桜の季節が過ぎた後で

人の出入りは寂しい感じでしたが

青空のもと

岐阜県の揖斐町を訪ねました。

 

堂々たる二重の門構えは

「谷汲山たにぐみさん華厳寺」です。

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「西国三十三か所霊場」というと

718養老2年に徳道上人が定めた

日本では一番の歴史ある観音巡礼ですが

西国というだけに関西の寺院が中心です。

 

谷汲山華厳寺は

岐阜県ではただ一つの札所であり

満願、結願のお寺として広く知られていますが

岐阜で「西国」という表現には疑問を感じていました。

 

調べてみて結論から述べると

「坂東」や「秩父」から見て

西に位置するという意味になります。

 

西国三十三か所霊場の3分の1は

京都に集中しています。

 

華やかな都をも含む巡礼の道は

多くの人が憧れ

全国に知られるようになったもので

遠方で巡礼が困難な人のために

「写し霊場」というものが設けられたほど。

 

それが今に続く

「坂東三十三か所」や「秩父三十四所」で

その東国を中心とした写し霊場から見ての

「西国」ということなのでした。

 

ちなみに

「関東」「関西」という語源は

奈良時代の673年に天武天皇が置いた

北陸道の愛発関あらちのせき(福井県)

東山道の不破関ふわのせき(岐阜県)

東海道の鈴鹿関すずかのせき(三重県)

を境にして

所よりを「関東」

所より西を「関西」としたことに

はじまるようです。

 

神奈川県の箱根の関所や

群馬県の碓氷峠に関所が置かれた江戸時代以降

「関東」が示す範囲は狭くなり

現代では「関東」と言えば

1都6県(東京都、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、神奈川県)

という認識がほとんではないでしょうか。

 

揖斐町が関西に入るのか?というと

不破関が置かれた関ケ原町を境とする説を取ると

揖斐町は「関東」になってしまいますが

第12代景行天皇の頃(西暦71~80年)

関刃物で知られる関市に

関所が置かれていたと伝わる話をもとにすれば

関市より西にある揖斐町は「関西」になるでしょう。

 

いずれにせよ

私が考えていた関所の境目とは根本から異なる

「西国」という表現であったことは

新たな発見でした。

 

さて

大きなわらじの掛かる仁王門を抜け

境内図を確認。

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まっすぐ伸びる石畳と石段で

いくつかの堂宇を過ぎ

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本堂です。

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「華厳寺」と呼ぶよりは

「谷汲さん」と呼び親しまれ

お寺の歴史は798延暦17年から。

谷汲さんの縁起は…

会津の豪族であり

熱心な観音信者である大口大領が

立派な観音様をつくりたいと願をかけた苦行の末

ありがたい霊木を手に入れます。

 

京の都で仏師に依頼して観音様を彫り上げ

会津へ運ぼうとすると

なんと観音様自ら

笠をかぶり杖を突き草鞋を履いた旅姿で

歩き出すのです。

 

さらに

美濃国赤坂(岐阜県大垣市赤坂)までやって来ると

「奥州へは行かない。

ここから北5里の山中に結縁の地があり

そこで生きとし生けるものを救い

悟りの境地へ導くのだ。」と再び歩き出し

谷汲へたどり着くなり

ぴたりと動かなくなりました。

 

大領は

この地が結縁の地だろうと考え

谷汲に住む修行僧の豊然ぶねん上人と力を合わせ

堂宇を整え観音様をお祀りしたのでした。

 

すると

お寺近くのからは油が湧きだし

んでも尽きることが無かったので

燈明に困ることが無かったそうです。

 

この話は醍醐天皇に聞こえ

「谷汲山」の山号と

ご本尊の観音様に写された華厳経にちなみ

「華厳寺」の扁額が下賜されました。

本堂は1879明治12年の再建で

秘仏であるご本尊の十一面千手観音を中央に

運慶による不動明王と

菅原道真による毘沙門天 が

脇侍となっています。いずれも非公開

 

正面の左右の柱には

青銅製の「精進落としの鯉」があり

晴れて満願となった巡礼者が

最後に撫でることで俗界へ戻り

巡礼が終わるという習わし。

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天皇家の勅願寺であることから

菊の御門を使うことが許されています。

 

本堂の地下では

再建時に設けられた

「お戒壇巡り」が体験できます。

 

階段を下りて暗闇の中を歩き

ご本尊の真下に位置する錠前を探し触れれば

観音様と結縁され

極楽往生ができるというもので

長野の善光寺がよく知られていますね。

 

探す自信のない人は

先を進む人に付いていくと

分かりやすいかも?←私もこうして見つけることができました^^;

 

本堂の背後へ進めば「おいずる堂」です。

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勅願のお寺と定められた谷汲さんは

西国巡礼を広めた花山法皇が満願所としています。

 

その折に詠まれた 

三首の御詠歌の1首に

今までは親と頼みし笈摺を 脱ぎ捨て納むる美濃の谷汲

とあり

御禅衣(笈摺おいずる)と御杖も納められたことから

巡礼者も笈摺を納めていくのです。

 

おいずると折り鶴をかけて

千羽鶴もたくさん奉納されていました。

 

さらに進めば「満願堂」があります。

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段数は33段!

納め札を納めるお堂です。

 

お堂の周囲の狸の置物は

満願した者は他の者より抜きん出ている(他抜き)

という洒落。

 

本堂が現世、満願堂が過去

笈摺堂が未来を表しているのだとか。

 

天皇家の勅願寺として栄えた谷汲さんは

坂東の地から見ての西国という意味を持つ霊場で

秘仏の観音様の縁起も興味深く

2019令和元年には日本遺産となり

お戒壇巡りや精進落としの鯉など

親しみやすい参拝法が人気のお寺でした。

 

門前は春の桜、秋の紅葉の名所にもなっています。